QE3は縮小方向、問われる金利上昇抑制 5月FOMCではQE3運営の裁量の幅を広げたが…
金利ペッグがなくなったことで、米国の金融市場になにが起きたのか。1951年末のニューヨーク連銀年次報告によれば、そもそも信用がひっ迫するほどの環境を背景に長期金利の上昇は続いたが、その度合いは今から振り返ると限定的だったと言える。投資家は冷静で、売りが売りを呼ぶことはなかった。
「5月以降、全般的な信用の逼迫は金利上昇という形に現れた。ニューヨークシティ銀行の企業向けプライムレートは、1951年初の2.25%から、3度の引き上げを経て年末には3%に達した。これは1934年以来で最も高い金利水準だった。(中略)(国債市場では)短期金利は春と夏の間に、新たな、高い水準へと上昇し、1951年全体としては、短期市場の資金需給によって変動した。これに対し、中期から長期の金利は夏場のもたつきを除けば、じりじりと上昇した。年末に発行された最長期物の債券は2.75%の利回りをつけた。」
「金利上昇は、多くの投資家に債券の売却を躊躇させ、債券価格が新たな水準で安定しだすにつれて、購入を拡大する投資家も現れた。パーを下回る価格での売却が損失につながることから、債券売却の動きが抑えられた。とりわけ大手の投資家は、従来もそうしたことがあるように、自らの売却が価格下落につながってしまうことから大量の債券を売却しようとはしなかった。また、融資自主規制策(Voluntary Credit Restraint Program)の下で、融資資金確保のための国債売却の必要性も縮小した。」
コミュニケーション政策の見せ場に
時計を現在に戻すと、ボンド・コンバージョンが必要なのは日本のほうかも知れない。米国では、これまでFOMCが磨き上げてきたコミュニケーション政策の見せ場となっていくとみられる。
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