受験で全敗した私が、英語の達人になるまで

日本の英語教育を変えるキーパーソン  石渡誠(上)

当時の私は英語ができないだけでなく、英語ができる人に対して偏見を持っていました。日本人で英語ができるのは、どうせ違った環境で生きてきたからだと思っていました。特に、その講習に登場する先生の英語がみんなすごくて、私にはネイティブとしか思えませんでした。「絶対向こうで育ってきたか、留学をした恵まれ環境に育った人たちに違いない」と信じて疑わなかったほどです。

また、生徒たちもみんな英語を使おうとしていました。授業中だけでなく、休み時間にもね。ますます距離を感じました。結果、友達を作らずにいちばん後ろの席に座り、険しい表情のまま過ごす日々でした。

でも、話を聞くうちに先生たちは誰も留学経験がなく、松本先生のやり方で、みんな日本で英語ができるようになったことがわかり、自分の心構えを変えたほうがいいと思うようになりました。3週間が終わるころには素直にやろうと決めて、やっと勉強を始めるようになったんです。

自発的に発した最初の英語

安河内:高校を卒業した直後の3週間で最初のliberation(解放)があったんですね。そんなどん底の状態から、今のレベルまでに到達するまでに、どんな学習をされてきたのか、ぜひ教えてください。

石渡:ええ、まさしくliberationのような体験をしました。でも、どん底から今のレベルに到達する話をする前に、英語を口にすることさえためらっていた私が、どうやってしゃべり始めるようになったかを、お話しさせてください。その講習で私にとっては大きな事件がひとつ起こったんです。3週間が終わりに差しかかった頃、嵐の日のことです。その日は朝起きると真っ暗で、雷が鳴るような荒れ模様でした。授業は朝からあったので、いつものように学校に向かいましたが、電車が遅れてしまい私は遅刻しました。

遅刻者はクラスに入れないという規則があったので、ドアは中から鍵がかかっていました。私はびしょびしょになりながら着いたのに、授業が受けられなかったのです。ほかの生徒はみんなまじめなので、早めに家を出たのでしょう。定時に到着し、いつもどおり授業を受けていて、廊下にいるのは私1人でした。

帰るのにも外は大雨です。私は濡れた教科書を取り出して、廊下から授業を聞くことにしました。ただ、廊下からは中の先生の声が聞こえづらかったので、耳をドアにくっつける必要がありました。その姿勢で話を必死に聞いているとき、体が滑ってよろけてしまったんです。最初、自分でも何が起こったかわかりませんでしたが、教室からはキャーという悲鳴が上がり、周りは真っ暗でした。しばらくして、よろけた際に、私が肩で教室の照明スイッチを消してしまったことがわかりました。

照明をつけようと中から先生がドアを開けました。私は一瞬その場から逃げようかと思いましたが、もう中に入るしかないと覚悟を決めました。そのとき、恥ずかしさを紛らわせるために、私は大きな声で“Good morning. How Are you?”と言いながら教室に入って行ったのです。

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成長を確実にする組織の根幹を成すのが、研究開発と人事である。研究開発体制は2015年4月、各研究所に横串を通し、顧客起点の組織に生まれ変わらせた。人事制度もグローバル化がほぼ完了。踊り場から飛躍へ、日立の地固めの様相を追う。