齋藤は、「実際の生産が始まり、量産車が人手で塗られているのを見たときには衝撃的だった。感無量であったのと同時に、工場にここまでやらせてしまったのか、と改めて思った」と振り返る。
生産面だけでなく、車体のデザインでも、ツートンカラーの塗り分けがしやすく、色も映えるような形状の工夫も行われた。
NBOX+で初めて設定されたツートンカラーは、齋藤たちが想定した以上に引き合いが強く、続くNーONEは、冒頭で述べたように大ヒット。手塗りでは生産量にも限界があるため、当初は見送った自動化工程導入の検討にも入っている。
挫折、そしてディズニーのバイトでの気付き
普段、一緒に仕事をする開発メンバーだけでなく、実務的にも、物理的にも遠く離れた工場をも巻き込んで、初めて実現したツートンカラーのプロジェクト。
齋藤は「(自動車のカラーデザインの仕事は)ひとつのクルマを作るために、年齢も専門も違うさまざまなひとたちとかかわる。仕事をするうえで大切なのは、コミュニケーションに尽きる」と言う。
巨大な分業システムの代表とも言える自動車産業だが、そうした分業の境界を乗り越えたコミュニケーションに努めたことが、ツートンカラーの実現に役立ったと言えるだろう。
高校時代、油絵への道を志した齋藤は、美術大学の油画科への進学を目指したものの、結局、3年間の浪人の末、挫折。「当時は、将来は油絵しかないと思っていたので、何をしてよいのかわからない状態になった」(齋藤)。
その後、開業を控えた東京ディズニーシーで、タイルや壁のペインティングなど、さまざまなアルバイトを経験したのち、テキスタイルの専門学校を経て、2005年にホンダに入社する。
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