トランプ、祖父の代から続く「カネへの執着」 父からは「食う側になれ」と叩きこまれた

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少し手を回すだけで、ニューヨーク・タイムズに好意的な記事を書かせ、ハンサムで優秀なドナルド・トランプ像をつくり上げたり、テレビのトーク番組の関心を引いたりできた。マスコミはそれが真実かどうかより、とにかく「面白いストーリー」を欲した。

金持ちで見栄えのいい男としてメディアと大衆の注目を集めることに成功したトランプは、その後も注目を求め続けた。見栄えについて言えば、中年太りと戦い、常に高級なスーツに身を包み、髪の毛を守るために最大の努力を捧げてきた。

彼の髪型のことは、1990年ごろから新聞や雑誌で話題に上り始めた。かつてはブラウンのヘルメット型だったのが、赤みを帯びた金髪の複雑な髪型になったのである。しかし、注目されることが何より大事なトランプとしては、自分を有名にしてくれたこの髪型を変えることもできなかった。

ブッシュとゴアに割って入ろうとした「幻の大統領選」

実際、注目を集めるためには、トランプは何でもした。1999年秋には、翌年の大統領選に立候補するために、共和党員をやめてアメリカ改革党に鞍替えまでしたことがあった。

政界への転身を準備し始めたトランプは、いわゆる「候補選出委員会」を立ち上げた。こうした組織を使えば、実際の選挙の勝ち負けに関係なく、誰でも「大統領選候補者」として振る舞い、マスコミや世間の注目を集めることができる。

改革党に加わったトランプは、アメリカ人のメインストリームにアピールしそうな考えを表明したが、改革党の熱烈な支持者からは嫌われた。たとえばトランプは、共和党を「あまりに右に偏っている」と批判し、中道に働きかけることで「根っからの右翼」だけでなく、もっと幅広い支持を集められると主張した。だが、改革党の中核的支持者は「根っからの右翼」であり、トランプは左に傾くことでは勝てなかった。

改革党の党大会が迫ると、トランプは共和党候補のジョージ・W・ブッシュを「経験不足」だと攻撃した。そして、自分なら事業家としての「収益の観点」を有権者に提供できると主張した。トランプが経営するホテルとカジノの損益が、99年第4四半期には3450万ドルの赤字に達しようとしていたことを考えると、奇妙な理屈と言うほかない。

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だが結局、政治家トランプの活動は短期間で終わりを告げた。彼はテレビで、「改革党の中身はめちゃくちゃだ」と話し、選挙活動を終えることを宣言した。改革党党首パトリック・チョートは、「トランプが入党してやったことは、党の費用を使って、自分のホテルと著書と彼自身の宣伝をすることだった。彼はきっと、これ以上わが党を利用できないことがわかったのだろう」と述べている。

選挙活動の終了を宣言した2週間後、トランプは当時副大統領だったアル・ゴアからの電話を受けた。ブッシュと大統領選挙で対決することになっていたゴアは、トランプに選挙活動の再開を求めたのだ。トランプは「考えてもいい」とだけ答え、結局、ゴアの要望には応えることはなかった。

そして秋の選挙シーズンたけなわになると、トランプは政治談義から姿を消した。しかし、彼は重要な目標を達成した。公式に出馬しなかったにもかかわらず、その後の自分を大統領選挙について語れる「情報源」に仕立て上げることに成功したのである(敬称略)。

マイケル ダントニオ フリージャーナリスト、ライター

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まいける だんとにお / Michael D'Antonio

フリージャーナリスト、ライター。プルトニウム汚染の脅威を追及した『アトミック・ハーベスト』(小学館)、感染症の恐怖を描いた『蚊・ウイルスの運び屋』(共著、ヴィレッジブックス)をはじめ、これまで10冊以上の本を上梓。『Newsday』の記者時代にピュリッツアー賞を受賞。

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