トランプ、祖父の代から続く「カネへの執着」 父からは「食う側になれ」と叩きこまれた

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連邦捜査官のウィリアム・マッケナの証言によれば、フレッドは法外な額の補助金を山分けした建設業者の主要メンバーで、補助金の支出は、収賄容疑がほぼ固まっている連邦住宅局の当局者が承認したものだった。問題の役人の多くが、業者側からテレビや腕時計、電化製品などの高価な贈り物を受け取っていた。ほかにも身の丈を大きく超えた生活をしている役人がいて、多額の賄賂を受け取ったことは明らかだった。建設業者はその見返りに、数百万ドル相当の便宜供与を受けたのだ。

プログラムの精神に反しているのは明らかだったが…

公聴会でフレッドは、許しを求めることも、被告人のように振る舞うこともなかった。代わりに、自分が最大限の利益を手に入れるために使った、複雑な、しかし合法的な手法について、自信満々に説明した。退役軍人向けの住宅供給プログラムは、当初の精神に反して、規定を読みこなせる建設業者にカネを儲けさせるために設計されたかのようになってしまっていたが、フレッドはその全体像を理解し切っていた。

フレッドの手口がプログラムの精神に反しているのは明らかだったが、違法行為としてとがめられることはなかった。世の中の仕組みを理解し、それを利用して利益を得る「野心的で賢い同胞」を称え、応援さえするアメリカ人は少なくないだろう。彼はまさにそういう人間だった。

フレッドは、5人の子どもたちに、非情なまでの競争心と闘争心を持てと教えた。特に、幼いころから自分に似ていたドナルドには、お前は「食う側」になり、「王」になるのだと言い聞かせた。そして、将来の王にふさわしく、運転手付きの大型リムジンで新聞配達の仕事をさせた。ドナルドが、いじめっ子体質で暴力的な少年になったのも当然かもしれない。

ドナルドは名門私立学校、キュー・フォレスト・スクールに入学し、毎日ネクタイを締めて通った。しかし、結局この学校も、落ち着きがなく言うことをきかないドナルドを改心させることはできなかった。

ドナルドは8年生になると、軍隊式教育で知られる私立の全寮制男子校、ニューヨーク・ミリタリー・アカデミー(NYMA)に入れられ、制服を着て、狭い相部屋に押し込まれて過ごすことになる。親も友人も、父の豪邸もない。あるのはヒエラルキーと、権威主義的な厳しい規律でできた社会だ。

NYMAの教員・関係者には第二次世界大戦の退役軍人が多く、肉体・精神の両面で荒々しく生徒たちを扱った。ドナルドの話によれば、「連中はいつも生徒をぶん殴っていた」という。彼はここでの経験から、弱い者が虐げられるのは世の習いだと確信し、競い、勝つことがすべてだという考え方を強めた。彼の恩師は、「食堂の列をはじめ、ドナルドは何でも一番になろうとした」と述懐している。

その後、ドナルドは地元のフォーダム大学に入学し、商業専門学校に通うような感覚で大学時代を過ごす。のちにフォーダム大学から編入して、ペンシルベニア大学のウォートン金融商業スクール(現ウォートン・スクール)で不動産を学ぶことになるが、編入後も彼はいつも週末にはニューヨークの実家に戻って家業の見習いをした。そこで彼は、父が寄付金によって政治家を操り、人脈を駆使して儲けを重ねていく姿を目にする。

最も早い時期からドナルドと協力関係にあった人物に、マフィア弁護士のロイ・コーンがいる。コーンは人種差別的な言動でも知られた人物だ。コーンから学びながら、ドナルドはすぐに、マスコミを操り、作り物の「成功イメージ」を築く能力を示す。

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