トランプ、祖父の代から続く「カネへの執着」 父からは「食う側になれ」と叩きこまれた

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フリードリヒはニューヨークで6年間過ごした後、西部で新たな都市や町が急速に発展し、鉱業が活況を迎えていることを聞きつける。シアトルに移住した彼は、売春街で食堂兼娼館を開いて成功する。アメリカン・ドリームの実現というのは言い過ぎにしても、富と道徳に同じだけの価値を認める国で、彼は本物の「清く正しいアメリカ人」になっていった。そして、移住から7年後、彼は正式にアメリカ国民となった。「Trumpf」の「f」が消えたのはこのときだ。

金持ちになるチャンスをうかがっていたフリードリヒは、アメリカ西海岸を南北に走るカスケード山脈のモンテ・クリストと呼ばれる鉱山町に、金銀を狙う探鉱者たちが集まっているのを知る。

実際に金を掘る代わりに

当地では、鉱脈を掘り当てた探鉱者には、その区画に関する独占的な権利が与えられることになっていた。自分で土砂を掘り返すより探鉱者を相手に商売するほうが確実に儲かると考えたフリードリヒは、まず適当な場所で「金を掘り当てた」とうそをつき、一銭も払うことなく一等地の占有権を手に入れる。そして、実際に金を掘る代わりに、その土地に宿を建てた。地代がかからなかったこともあって、これが大きな儲けになった。

モンテ・クリストには実際は金鉱などなく、そのことが明るみに出ると、町は放棄される。一方で、当時、カナダ北西部のクロンダイクという地域で新たなゴールドラッシュが始まっていた。フリードリヒはモンテ・クリストと同じやり方で儲けようと、当地へ向かった。

船がアラスカに着くと、彼は道端で行き倒れになった馬の肉を使った料理を専門とするテント食堂を開き、それから小屋を建てて食堂兼ホテルを経営し、売春サービスも提供した。さらに、本来は権利のない土地を違法に占有するという手口でより大きな宿を開くと、昼夜営業して大儲けした。探鉱者の中でフリードリヒより稼いでいたのは、ほんの一握りしかいなかった。

その後、32歳になったフリードリヒは、結婚相手を探すためにドイツに渡り、1905年に妻のエリザベスを連れてアメリカに戻る。このとき妻は妊娠しており、アメリカで息子のフレッドが生まれた。

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ニューヨークの市街地図。南北に細長いマンハッタン島を中心に、20世紀初頭から東のクイーンズ区や南のブルックリン区の市街地化もどんどん進んできた

フリードリヒはクロンダイクでの稼ぎをニューヨークで不動産業に投資する。彼が目をつけたのは、クイーンズ地区のまだ発展していない一帯だった。当時のクイーンズの人口は20万人に満たなかったが、マンハッタンにつながる橋や鉄道のトンネルが建設されているところだった。1909年に橋が開通し、1910年に鉄道がつながると、住宅が増え、商業地区ができ、1920年までに人口は50万人近くまで増加することになる。

儲けの好機に気づき、定期的に不動産仲介業者を訪れていたフリードリヒだったが、1918年3月、いつものように業者回りをしている途中で突然体調を崩し、そのままこの世を去った。死因は当時アメリカで猛威を振るっていたスペイン風邪だったようだ。

時は下って1954年7月12日、トランプの父、フレッドは、連邦上院での公聴会に召喚されていた。連邦住宅局(FHA)の「退役軍人向け住宅供給プログラム」を利用した400万ドルの不当な利得について質問に答えるためだ。

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