世界に民主化の流れをつくった「ピープルパワー革命」から40年/先頭ランナーのフィリピンはその後なぜ周辺国に劣後したのか

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1986年2月7日の投票日を前に、マニラで大詰めの選挙運動を展開するアキノ大統領候補(車上右側)とラウレル副大統領候補(車の上左側)。選挙開票で現職マルコス大統領側の不正があったことなどがきっかけで「ピープルパワー革命」が成就した(写真:AFP=時事)

今から40年前の1986年2月26日、私はアメリカ・ハワイのヒッカム空軍基地にいた。フィリピンを20年余にわたり強権で支配した大統領フェルディナンド・マルコス(シニア)の到着を取材するためだ。

独裁者の退陣を求める「ピープルパワー」により、一家は前日の2月25日、大統領府マラカニアン宮殿から追放され、アメリカ軍機により運ばれてきた。

足取りのおぼつかないシニアは、両脇を基地職員に抱えられ軍用機から降り立った。夫人のイメルダ、長男のフェルディナンド・マルコス・ジュニア(ボンボン)らが続いた。

この政変を嚆矢として、アジアや東欧に民主化の大波が押し寄せ、東西冷戦は終結に向かった。

フィリピンは政変後、軍人の蜂起や弾劾裁判など幾たびかの政治的混乱を経ながらも6回の大統領選を重ねてきた。いまマラカニアン宮殿(フィリピンの大統領官邸)には、2022年の大統領選に勝利し、一家の名誉回復をはたしたボンボンが座る。

マニラ首都圏には高層のオフィスビルやコンドミニアムが立ち並び、全国の津々浦々に立地する商業モールには人があふれている。中間層は増え、新興国として存在感を示しているようにもみえる。

民主化を主導したのにフィリピンの発展は劣後

しかしこの40年間、東南アジア諸国を見てきた私には、周辺国に比べてインフラ整備や製造業の集積の面で大きく遅れ、海外からの投資流入や観光客誘致でも桁違いに少ないフィリピンの経済的劣後が気にかかる。圧倒的に優位な「人口ボーナス」(若者や現役世代人口が多い)を生かすことができず、現況は他国への人材供給源にとどまっている。

アジアで最初に自力で民主化をはたした国が、なぜ、周辺国の後塵を拝するのか。

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