なぜ、ありきたりな商品が量産されるのか? ディレクター的ものづくりの限界

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そうすると、スクリーンを見つめる観客は「ほらやっぱり来た!」と思って笑うわけですが、こういう反応自体が、もう「黄金パターン」が出来上がっている証拠です。それはもちろん1つの成果なのですが、こればかりやっていると、新しいコンセプトの商品が生まれなくなる可能性があります。

成熟した分野では、「名匠」とか「名工」とか、擦り合わせのベテランのディレクター、その職人的技巧ばかりが評価されて、まったく新しいコンセプトに挑戦することはそれほど評価されなくなってしまいます。ディレクター(監督)の内的整合化の努力は重視されても、プロデューサー(制作)の外的整合化の役割は軽視されるからです。しかし、それでは既存のパターンをより磨き上げることで事足れりとして、新しいパターンをつくることがなおざりになる、ということになってしまいます。

そうすると、組織本体の持つべき企画力が衰えて、借り物や過去の焼き直しばかりが行われがちになるでしょう。昨今の日本映画ではその傾向が高じて、プロデューサーが「ナントカ制作委員会」ばかりになっているそうで、企画もドラマやアニメの映画化ばかりになっています。これではリスクばかりか責任も分散してしまうでしょう。

こんな組織で画期的な商品が開発できるのでしょうか? そしてこれは、娯楽コンテンツ制作業界にだけいえることでしょうか?

新しい市場をつくる 商品開発のプロセス

ドラマや映画の例を挙げてきましたが、他の業界にもいろいろ当てはめて考えられる現象ではないかと私は思っています。商品開発に「ディレクター優位型」と「プロデューサー優位型」が考えられるとするなら、コンテンツ制作業界ばかりではなく、他業界の多くの組織も、市場の成熟につれて商品開発プロセスが、ディレクター優位型に偏ってしまっていないかと思います。

特に新しい市場を創造するような、画期的な商品開発について、この対比を考えることは意味があるでしょう。商品開発とはいうものの、これはサービス業にも通用する枠組みですが、このような商品開発には4つのプロセスがあります。

たとえば、「お尻を洗う」ということで新しいニーズを発掘したTOTOの洗浄用便座「ウォシュレット」で説明してみましょう(図表1)。

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