日銀が「量的緩和」を残したのは間違いだ 「総括的検証」で浮き彫りになった課題
一方、混乱したままのところもある。それは2%のインフレの実現と期待インフレ率の押し上げに拘泥している点だ。もともと現在のようなゼロ金利制約下で、設備投資など景気に影響を与えると考えられる実質金利を下げる方法として、インフレ期待は表舞台に登場した。実質金利は名目金利から期待インフレ率を引いたものなので、名目金利がゼロ近辺に張り付いていても期待インフレ率が増大すれば実質金利を下げることができるからだ。
日銀は「総括的な検証」の中で、先述のようにマイナス金利政策導入によって名目の長期金利が大幅に下がった結果、実際には期待インフレ率が想定したとおり増大しなくても、実質金利は景気をサポートする上で十分に低い状態だと、明記している。であれば、そのような緩和的金融環境の中で景気、賃金、物価の上昇が醸成されるのを見守ればよいのであり、今もって期待インフレ率の引き上げにこだわる必要はないはずである。
だが、日銀は総括的検証の中で、2%のインフレ実現のために「インフレ期待をより強固な形で高めていくことが必要である」として、「物価上昇率の実績値が安定的に2%を超えるまで、マネタリーベースの拡大方針を継続する」とのオーバーシュート型コミットメントなるものを新たに導入した。
日銀はなぜここまでインフレ期待に固執するのか。それを理解するには少しだけ経済理論の変遷を見ておく必要がある。
「合理的期待仮説」とは?
経済学の中に明示的に「期待(予想)」という概念を取り入れたのはジョン・メイナード・ケインズだ。人々が期待を基に行動すると何が起きるかという思考プロセスを入れたのだ。
だがここで重要なのは、ケインズ経済学は、「人々は将来の結果を知り得ないことを知っている」という不確実性の想定を置いていることだ。その結果、人々は不確実な将来へ購買力を持ち越すため、生産や雇用に直結しない貨幣などの流動資産の形で貯蓄し、そのことが有効需要不足につながって不況や非自発的失業を生み出すと論じた。将来の結果を合理的にすべて知っているわけではない人間がこのような行動を取ることは「合理的」だとケインズは考えている。
1970年代以降、ケインズ経済学が後退して新古典派経済学が復権する中で、この「期待(予想)」の位置づけが大きな変貌を遂げる。決定的だったのは、ロバート・ルーカスが主導した合理的期待仮説だ。
ルーカスは、確率論の形を取りながらも人々は今日取られた行動が将来にどのような結果をもたらすかをすべて知っているという、古典派、新古典派以来の確実性の仮定を強固に据え直した。その結果、政府や中央銀行が何らかの政策を行っても、人々が先回り的にその結果に対応した行動を取るため、政策は無効になってしまうと論じた。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら