カツユキさんに話を聞いた、ちょうどその頃、NHKが報じた「貧困女子高生」が「貧困のくせに1000円のランチを食べている」「ただの自己責任ではないか」などと激しくバッシングされていた。彼がその都度、言い訳のように「前置き」をしたのは、自分も糾弾の対象になることをよくわかっていたからだろう。しかし、教師やクラスメートの目を盗んでこっそりと給食の余りを持ち帰った体験のどこが「たいした話じゃない」のか。彼にそんな言い訳を強いる世の中の空気に、筆者は腹が立って仕方がなかった。
物心ついた頃から、父親が働いているのを見たことがない。覚えているのは引き出しやタンスの奥をあさり、現金を探し出しては競馬や競輪に使ってしまう姿だ。生活は、嘱託職員として働いていた母親の月給約20万円が頼り。父親は暴力を振るうことはなく、母親に代わって最低限の家事はこなしていたが、両親の間ではおカネのことでいさかいが絶えなかった。ある晩、夕食用に刺身を買ってきた父親に対し、母親が「なんで、こんな高いものを」となじってケンカになったときのこと、2人が口論する姿は鮮明に覚えているのに、刺身の味は覚えていないという。
なぜギャンブルをやめないのかと尋ねても、「だってしょうがないじゃないか」としか言わない甲斐性のない父親だった。いつだったか、インターネットの検索サイトに「働かない」「父親」と打ち込み、次いで「こ」と打ったとき、検索頻度の高い関連ワードとして「殺したい」が表示され、「同じように感じている人がいるんだな」と思い、妙に安心したという。
そんな父親もカツユキさんが大学生のときに病気で他界。このときのことを「悲しかったです。でも、どこかでホッとしていました。母も“このまま生きていられたら、(ローンが払えなくなって)家を手放すことになったかもしれない”って言っていました」と振り返る。
サービス残業と先輩からの嫌がらせ
「欲しいものを買えたためしがない」という子ども時代を過ごしたカツユキさんにとって、就職は人生を変える節目になるはずだった。
「大学のレベルを考えると、大手企業は望めなかった」と言うが、なんとか関東近郊のバス会社に就職。ところが、会社では同期からカツユキさんひとりだけが子会社への出向を命じられる。出向先では残業が月150時間に上ることも珍しくなく、このうち残業代が付いたのは半分ほど。有休を申請しても「この忙しいときに?」「最近の若い人は権利ばかり主張する」と嫌みを言われるだけだった。年収は約500万円だったが、後になって同期から、この子会社が、離職率が高く、自殺者も出ているいわゆるブラック企業だと教えられた。
しかし、サービス残業よりはるかにつらかったのは、先輩社員らによる陰湿な嫌がらせだったという。仕事は事務職だったが、事故などでバスのダイヤが乱れると、終日ターミナル駅に張り付き、会社と現場の連絡役を務めることもあった。そんなとき、カツユキさんが電話で会社に報告を入れるたび、ほとんどの先輩が「わかりました」「了解」の一言を言わずに電話を切った。また、忘年会や新年会などがある日は、決まって定時では上がれない勤務ダイヤに組み込まれ、2次会に誘われることも一度もなかった。
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