混迷する中東を読み解く「世界史」の3視点 「数年、数十年、数百年」の流れを見よ
そして今、第5の衝突においては、ISIS(イスラム国)なるものに象徴されるジハード主義を掲げる過激な暴力集団が台頭している。それが、ジハードを中東の地域問題に限定せず、「グローバル・ジハード」という、テロの世界化を図る意図が明らかになってきた。
「グローバル・ジハード」という言葉は21世紀的状況を象徴しているのかもしれない。
グローバリズムというキーワードの下で、資本主義の世界では企業が国境を超えてグローバルなビジネスモデルの最適化を求める動きが出てきたように、皮肉にもグローバリズムはイスラムに国境を超えたジハード主義を誘発している。
その象徴がアルカイダであり、ISISのネットによる情報配信と世界中でのテロリスト予備軍のリクルートであると言えよう。
日本はどう関与していくべきか
このような状況に、日本はどのように関与していくべきか。
日本としては、可能な限り宗教対立の外に立ち、宗教間の対話と相互理解を促す立場に立つべきだろう。間違っても、いずれかに加担する愚を侵してはならない。
これは、中東とアメリカの関係にどう関与するか、という点でも同様だ。
アメリカのプレゼンスの後退が明らかになるなかで、「アメリカについていくしか道はない」という外交スタンスをいつまで続けるのか。
2016年7月、日本人7人を含む約20人がイスラム・ジハード主義勢力のテロリストによって、バングラデシュ・ダッカで殺戮(さつりく)されるという事件が起こった。より広い視野で見れば、ラマダンといわれる期間だけで、世界中で399人もがイスラム過激派によって殺されている。
日本人が巻き込まれたというよりも、日本人もターゲットにされ始めているということに気づかなくてはならない。
「テロとの闘い」に参画することは大切だが、不必要な逆恨みや誤解によって日本が攻撃されることは避けねばならない。イスラム教対キリスト教の歴史的遺恨とは異なる次元で、テロと向き合うべきなのであり、日本が取らなければいけないのは、驚くほどバランスの取れた、欧米とは異なる、「第三の道」に立った政策なのである。
日本は中東のいかなる地域にも軍事介入や武器輸出をしたことがなく、歴史の中でも宗教的・民族的な対立に関与したことがない。また、技術を持った先進国としての日本に対しての中東からの敬愛と信頼の眼差しも踏まえ、日本独特のバランス感覚を失ってはならない。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら