混迷する中東を読み解く「世界史」の3視点 「数年、数十年、数百年」の流れを見よ
とはいえ、大国の介入を拒否し、自らの運命は自ら決めるという大きな歴史的潮流のなかにあることも確かで、大国の思いどおりの秩序形成という時代には、戻らないだろう。
この外縁の国々の中で注目すべきなのは、地域パワーとして台頭してきているイランとトルコである。かつてイスラム教の浸透により新たにイスラム圏となったペルシャやオスマン帝国の歴史を背景とする国々だ。この地域パワーの台頭という現象は、私には中東史の深層底流への回帰と思える。
中東でのイランの影響力が大きくなっていることに苛立ちを隠せないのが、サウジアラビアとイスラエルだ。今、シリアの混乱と難民に世界の関心が集まっているが、今後の中東を突き動かす「火薬庫」的要素は、サウジアラビアとイスラエルだと考えている。
ポイント3:宗教が歴史の表舞台に
前述のサイクス・ピコ協定よりさらに長いスパンで俯瞰すれば、政治を動かす要素として、400年間表舞台に現れてこなかった宗教が、再び国際社会を大きく揺るがす要素になりつつあると言える。
戦後世界史を見つめてきた93歳のヘンリー・キッシンジャーは、近著『国際秩序』で、世界は1648年のウエストファリア条約以来、400年ぶりの構造転換期に直面していると指摘する。
中東を理解するための「5つの衝突」
この条約は、神聖ローマ帝国を舞台として、全欧州を巻き込んでカトリックとプロテスタントが骨肉の争いを繰り広げた30年戦争の終結点で結ばれたものだ。
この条約により、欧州の政治は宗教的権威・権力から自立し、「宗教からの政治の解放」と「国家間の勢力均衡」を確認し、この条約は、近代国際秩序の起点となったとされている。この秩序が、崩れ始めている。
とりわけ、現在、「キリスト教とイスラム教の衝突」という大波が世界を覆っている。だが、本来、「中東一神教」として根はひとつのはずのキリスト教とイスラム教が、なぜ憎悪に燃えて戦うのだろうか。その背景には、大きく5つの、長い衝突の歴史がある。
第1の衝突は、8世紀前半のウマイヤ朝イスラムのキリスト教国への侵攻だった。8世紀初頭に全盛期を迎えたウマイヤ朝は、東ローマ帝国から北アフリカを奪った後、ピレネー山脈を越えてフランク王国と激突した。
第2の衝突は、11世紀末から約200年にわたり、聖地エルサレムの獲得を目指してカトリック諸国の軍隊がイスラム軍制圧を試みた十字軍だ。
第3の衝突は、16~17世紀におけるオスマン帝国の2度にわたるウィーン包囲だ。神聖ローマ帝国の拠点だったウィーンを包囲した第1次ウィーン包囲は、当時の欧州に衝撃を与えた。
第4の衝突は、第一次世界大戦後のキリスト教国・欧州によるオスマン帝国解体だ。これは先にも述べたとおり、サイクス・ピコ協定に象徴される、列強による中東の分断統治をもたらした。
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