――李監督と組む作品を探していたという面もあるのでしょうか。
小説も「では、これを書いてください」と言われて書けるものじゃない。その時に書けるものは限られている。おそらく『怒り』を書いた時は「怒り」しか書けなかったと思います。それはきっと李さんも一緒で、撮影は去年でしたが、そのタイミングで撮りたいものが『怒り』しかなかったんだと思います。そしてそれはきっと川村さんもそうだったと思います。
――「これをやらねば」という波長がピッタリ合ったと。
そう。タイミングというか、運命的なものもあるだろうし、たまたまそれが『怒り』だったのだと思います。それプラスして、妻夫木さんというお忙しい方が、たまたま出られるようになったということも大きかった。
『怒り』の映像化は『悪人』の10倍難しい
――『怒り』の小説を書きあげた時に、李監督に原稿を送って。帯のコメントをお願いしたと聞きました。やはりこの『怒り』という作品に関しては、何かしらの予感があったということではないでしょうか。
予感はなくはなかったですね。内容は違うにしても、『怒り』という作品を書きあげた時に、自分の中で『悪人』と通じるものがあったのでしょう。この『怒り』は李さんがどういう風に読むのか、ということはすごく気になっていましたし、いち早く読んでもらって、感想を聞きたかった。それが最初の強い思いでしたね。
――『悪人』では吉田さんと李監督が一緒に脚本を書いていましたが、今回は李監督にお任せしたそうですね。そこは信頼関係があるからこそのことなのでしょうか。
もちろんそうした信頼もありますが、『悪人』に比べて『怒り』の方が映像にするのは10倍くらい難しい、ということがあります。これを脚本にするためには、映画のプロの手じゃないと難しいだろうなと思った。演出しながら脚本を書かないと成立しないということを直感で気付いたということです。だから最初から「僕はできません。今回は勘弁してください」と言ったんです。
――台本のチェックはされたんですか。
チェックなんてしないですよ。出来上がった脚本を読ませてくださいと言っただけで。つまり、チェックというよりは、単純に「読みたい」と。
――ひとりの読者として?
はい(笑)。読ませてもらって、感想は伝えました。それはチェックやダメ出しということではなく、僕はこういう風に読みました、ということを伝えたかったんです。
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