山形 いま、ウィリアム・T・ヴォルマンというアメリカの作家が書いた『Uncentering the Earth』という本を読んでいます。これ、コペルニクスの解説書なんですけど、まったく得体の知れない本。コペルニクスの考え方は、本当に革命的だったのか、いろいろ議論が分かれていて、大したことないと言う人、いや、やっぱりすごかったと言う人、いろいろな説が出てきます。著者は文学の世界の人ですが、科学の世界に入っていって、きちんとした解説をしているわけです。
こういった行ったり来たりがあるのは、C・P・スノー(1905~80。イギリスの小説家・物理学者)が「二つの文化と科学革命」(1959年)という講演で、科学と文学という二つの世界の分裂について論じたような、そういう危機意識があったからこそなのかもしれません。
それで、本や活字の世界だけで見れば、欧米では日本と違って理系・文系の相互乗り入れみたいなことが活発だ、なんてことも言えるかもしれませんけど、実際に、たとえばイギリスとかで生活してみたら、事情は大いに違うことだってありえますね。
稲葉 イギリスの文脈で言うと、人類学者のロビン・ダンバーなんかが、イギリスの理数系教育の低下について、いろいろと書いています。理系に来る人間が減っているとか、理系の人たちの平均的学力が低くなってるとか言うんですね。こうなると、全体像としてどうなのかをつかむのは、かなりむずかしいなと思います。
山形 逆に、外国から見ると、日本という国は科学教育が非常に進んでいる、自動車工場で働く女の子も統計を勉強してQCをやっている、日本の科学はすごい、という言われ方もしています。
稲葉 一方では、「理系離れ」なんてことも言われていますね。
山形 結局、何を信じていいかわからない……。
明治学院大学社会学部教授。1963年生まれ。主な著書に『経済学という教養』(東洋経済新報社、2004年)、『オタクの遺伝子』(太田出版、2005年)、『「資本」論--取引する身体/取引される身体』(ちくま新書、2005年)、『マルクスの使いみち』(共著、太田出版、2006年)、『モダンのクールダウン』(NTT出版、2006年)等。
ウェブサイト:http://www.meijigakuin.ac.jp/~inaba/
評論家・翻訳家。1964年生まれ。主な著書に『新教養主義宣言』(晶文社、1999年)、『たかがバロウズ本』(大村書店、2003年)、訳書に『環境危機をあおってはいけない』(ビョルン・ロンボルグ著、文藝春秋、2003年)、『クルーグマン教授の〈ニッポン〉経済入門』(春秋社、2005年)、『ウンコな議論』(ハリー・G・フランクハート著、筑摩書房、2006年)等。
ウェブサイト:http://cruel.org/
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