山本監督の「行けたら行け」はなぜ問題か? バス会社における「行けたら行け」を考える

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私が、「行けたら行け」を経営に置き換えてすぐに想起されるのは、2年前の東日本大震災時のバス会社に対する政府とのやり取りに関してです。

なお、これから述べるのは震災時の印象的な出来事ですが、私が経験した範囲については事実ではあるものの、部分的には間接的に見聞きした伝聞も含みます。またすべての関係者からの話を網羅しているわけでもありません。その意味もあり、これから出てくる「バス会社」は特定の固有名詞を避け、福島県内周辺地域のバス会社をミックスしたものとして言及します。

「自主判断」の意味

2年前の東日本大震災の直後から数日間、原発付近の避難区域(屋内退避区域も含む)は事態の深刻度と同調するように、福島第一原発から3km、10km、20km、30km……と次々と拡大していきました。それと前後し米国大使館は、在日米国人の原発80km以遠への退避勧告声明を出し、そして原発各号機も、数日にわたり衝撃的な爆発を繰り返しました。

当時、私がいた会津若松は原発から95kmあり、まだだいぶ余裕はあったものの、日々放射線が迫ってくる錯覚に、じりじりと追い詰められていました。思い返せば、私はその危機感を足元の震災対応に集中することで、精神の均衡を保っていた気もします。その数日間の私には、勇ましさのかけらもなく内心は戦慄していました。

その前後のことです。福島県を中心とする複数のバス会社に対し、政府筋の担当部門から避難区域内の住民の方の避難輸送の打診が来ました。

当時、高速道路は部分的に震災の影響で通行不能、また、原発の状態はまったく予断を許さない状況でもあり、極めてリスクの高い任務です。そして何より問題なのは、そのときの打診は決して命令ではありませんでした。要請というと少しニュアンスが違うかもしれませんが、イメージは「行けたら、行け」そのものでした。

このとき、相手方に非常時の避難輸送を「命令」する権限がないわけではありません。道路運送法によると、災害時に政府はバス会社に避難輸送の命令を出すことができます。しかしこのときの内容は命令ではなく要請であり、すなわちバス会社側に「自主判断」を求めるものでした。

自主判断というのは、何を意味するのか。

それは万一のことが起きたとき、そのすべての責任は自主判断をしたバス会社が負うということです。当時、私には打診した側の本当の意図はまったくわかりません。この要請は責任逃れを計算したものでないかもしれません。現地の状況がわからない中で、命令するのも逆に無責任という、善意に基づく判断があったのかもしれません。

でも、この未曾有の危機的状況の中で、現場(福島県内のバス会社)に情報がより多くあるかというと、決してそうではありません。この状況で現場がより正しい判断ができるというのは、センチメンタルな幻想です。

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