ルーベンスの生きた時代には、カトリックとプロテスタントの対立があり、故郷のフランドル地方はその渦中にあった。イタリアから帰国すると、教会の祭壇画をはじめ、混乱の中で破壊された宗教的な美術品を作り直す仕事が入る。
そこで大量の注文を受けるため、大規模な工房を立ち上げ、効率的に絵を描くシステムを整えた。何人もの画家を抱えることで、1人では描けない数メートルもの大きな作品を制作できるようになった。
複雑な遠近法で描かれた頭部
『眠る二人の子供』からは工房のシステムが見えてくる。モデルは古代文化の研究者だったルーベンスの兄フィリプスの子供という説がある。兄は早くに亡くなり、ルーベンスは2人の子供の後見人になっていた。
中村教授はこう解説する。「愛らしい子供の頭部ですが、複雑な遠近法で描いているのが特徴です。顔を縮めて頬だけが見えるようにしています。画家は意味もなく絵を描くわけではありません。特殊な角度から子供を描くことによって、後に別の作品で部品として使うことを考えたのです」。つまり、ほかの作品の習作の意味もあるという。
このような頭部の習作は自分のためだけではなく、工房の画家たちにお手本として渡された。弟子たちがルーベンス風の人物の描き方を学ぶわけだ。
「頭部習作は1610年代に集中して作られました。ルーベンスの大きな油絵の中で部品として使われています。それを頭に入れて見ると非常に面白い。いろいろな年齢、性別の頭部習作があると便利ですよね。
天使ならこの顔、おっさんならこれ、と画家の練習帳として役立つ。ルーベンスの没後には、頭部習作の版画が大量に刷られました。彼の人気のほどがわかります」
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