期待の新人「困ったちゃん」だったらどうする 潜在能力を発揮できるかは組織の姿勢次第だ
たまりかねて注意すると「会社は私の長所を生かす気がないのですか」と激高し、とりつくしまがありません。「では、分からないことは何でも聞いて」と折れても「分からない事なんてありません」と抵抗し続けます。
「今どきの新人は――」と言われ続けてきた新入社員ですが、過去には「言われた通りにしか動かない」「覇気が感じられない」との指示待ち傾向が取り沙汰されたこともありました。一方、昨今の困ったちゃん社員は自分で動くには動くのですが、その方向や心持が会社や上司の思惑とズレているところが問題です。この事態をそのままにしておくことは、会社全体や他の社員のパフォーマンスに悪影響を及ぼします。こうした社員の言動をどう理解すればよいのでしょう。
ひとつには、「組織の一員である自覚が薄い」ことが挙げられます。成果主義を取り入れる企業が増え、個人の成果が重視される社会において、私たちの意識は自分の仕事に注がれるため、仕事を通じた自己実現は目指すものの、組織内でのつながり感覚は薄まる一方です。
さらに小さな端末ひとつで世界中のどこにでもアクセス可能、メッセージを送れば即反応が得られます。自分にとって居心地の良い場所、つながれる場所が手の中に存在するため、帰属の場所をわざわざ厳しい現実である会社に求めないのかも知れません。
若手が未熟なのは上の世代にも責任がある
では「責任感」はどうでしょう。かつて若手社員が残業を断ることの是非が論争になったこともありましたが、仕事に対して当事者意識を抱いているかどうかが、責任感や仕事に向かう姿勢に表れます。仕事の内容を把握しているか、仕事に対して自分が遂行する自覚を持てるか、仕事を遂行する意味を理解出来ているか、こうしたことが主体的に考えられなければ、社会人としては失格です。
事例にあるような職場の困ったちゃんたちは、誰の目からみても人間的に未熟であると言えます。自分の立場や主観でしかものを見ることができず、周囲や他人への気づかいが見られません。しかしそれは本人たちだけの問題でしょうか。
今の日本には経済成長の停滞や少子高齢化、年金・社会保障問題や貧困問題などが山積みで、希望の持てない多くの事柄が若年層の肩にのしかかります。失敗すれば自己責任だと揶揄されるから他人に心を開けず、自分の主観で判断するしかないと思い込んでいるのかもしれません。だとすると、そんな社会を築いた上の世代にも少なからず責任がありそうです。
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