振り返れば震災当時、モラルがあり、助け合いの精神にあふれた日本人が世界で賞賛されることもあった。そして、そのよさが、日本全国や東京にも波及しているとも言われた。
でも、2年経って、そんなことはすっかり忘れて、元に戻って生活している人も多いんではないかと感じている。
一方、東北では被災した当事者たちを中心に、老いも若きも“スイッチ”の入ったままの人たちがたくさんいる。自分のことだけでなく、地域や社会のことを第一に考えて、さまざまな人を巻き込んで活動している人は増える一方だ。
「セカイを変えるのだー!」
今、東北ではそれが合い言葉になっている。
震災後、東北の人々が気づいたこと。それは、結局、課題を人任せにしたままだと、文句を言う権利もないということだ。いま人々は意識を変え、自分の考えや経験・知識をオープンにし、仲間を集めて課題解決に奔走している。
奮闘する、東北の若者たち
「新しいことにチャレンジするのは大変だし、不安もある。自分たちの世代で結果が出ないとしても、自分の息子の世代で結果が出るのであればそれでもいいと思っています。
1人で100万円稼ぐより、10人が10万円ずつ手に入れられるような、そういうことがしたいんです」
これは石巻で奮闘する、まだ27歳のイケメン漁師、阿部勝太の言葉。このセリフは一生忘れられないだろう。
「このままでは、人が海から離れてしまう。海で生きる人が作ってきた、この地域を復活させるには、楽しい海をつくらないと」
海のがれき撤去や、遺体捜索をしながら宮城でダイビングサービスを立ち上げたHighBridgeの高橋正祥(マサ)。
彼は東京から石巻に移り住み、今では地元の漁師さんたちや住民を巻き込んで、「石巻umisakura」という海の掃除をする活動もやっている。
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