えっ、「PARCO」の「R」がない?渋谷で何が 8月7日、かつての若者の聖地が消える

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振り返ると、渋谷店は40年以上も前から、渋谷の若者文化を支えてきた。現在は、西武百貨店やマルイ系の商業施設をはじめ、大小の商業施設が軒を連ねる活気ある大通りに面する同店だが、1973年の開店前はさびれた通りだったという。渋谷駅から0.5キロメートルと少し距離があったため、人が流れてこず、渋谷区役所へ行くための道として、「区役所通り」とも呼ばれていた。

その寂しい通りを一変させたのが、渋谷パルコだった。道にロンドン風の赤い電話ボックスを置き、原宿から店の前まで馬車を走らせ、前衛的な劇を上演する「パルコ劇場」(旧西武劇場)を設けたことで、文化的感度の高い若者たちを呼び寄せた。1980年代にDC(デザイナーズ・アンド・キャラクターズ)ブランドと呼ばれた、デザイン性の高い洋服が一大ブームを巻き起こしたときには、ここで買った洋服を着て渋谷を闊歩することが、最も粋なこと。”パルコ文化”という言葉すら生まれた。同店が面する通りの名前も、区役所通りからイタリア語で公園を意味するパルコに由来する「公園通り」に変わった。

しかし、こうした渋谷店の伝説も、今は昔。「パルコ、マルイ、ルミネの3つは、どれも似ているイメージ。入っている洋服のブランドは、ほぼ同じ」(ある20代の女性客)。もはや数多くあるファッションビルの1つになってしまった感もある。

旧セゾンからJフロントの傘下へ

旧セゾングループ時代には文化の発信地だった。現在はJ.フロントの子会社である(撮影:梅谷秀司)

独自色を失ったきっかけとなったのは、2000年代に起きた、親会社である旧セゾングループの解体だ。先進的な文化事業に意欲的だった旧セゾングループの後ろ盾を失ったパルコは、イオンや森トラストなども名乗りをあげた争奪戦の末、2012年に大丸松坂屋を展開する、J.フロントリテイリングの傘下に収まった。

このM&Aは、百貨店事業が踊り場を迎えていたJ.フロントにとってこそ、うまみがあったと言える。パルコの主な収入源は、テナントからの安定した賃貸収入であり、J.フロントにおける連結での利益水準を安定させることができる。また、2017年頭に開業を予定している銀座松坂屋の跡地の商業施設は、パルコが持つ競争力の高いテナントを呼びこむためのノウハウを活用している。

一方で「パルコにとってのメリットはまだ見えにくい」(小売り業界担当のあるアナリスト)。旧セゾングループの中では、文化的な色彩を最も残していると言われるものの、かつての若者文化の最先端、というイメージは今や薄れつつある。

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