モハメド・アリがリング外で戦い続けたこと 「イスラム教、兵役拒否」などで世界揺さぶる

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アリの信仰とNOI加入は国際的な論議を巻き起こした。白人主義者やボクシング組織を管理するビジネス界は、今後の試合をキャンセルするよう脅した。記者の多くはけんか腰になり、アリを、本人が"奴隷の名前"だとしていた、イスラム教改宗前の本名「カシアス・クレイ」で呼んだ。

こうした道のりの中で、アリはバスケットボール選手のカリーム・アブドゥル・ジャバーに代表される同世代の黒人アスリートに道を開いた。おずおずせずに政治的および宗教的信仰を持ち、新しく誇らしい人種的アイデンティティを取り入れることを教えたのだ。

ブラックパワー急進主義は、アリの兵役拒否の決断を後押しした。学生非暴力調整委員会(SNCC)議長でアリの友人でもあったカーマイケルは、国内各地での演説で"いやなこった、行くもんか!"とのスローガンを広めた。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)はすぐにアリとカーマイケルに続き、1967年4月ニューヨークのリバーサイド協会での演説で反戦の立場を明確に表明した。

アリが兵役を拒否してすぐにベトナム戦争への抵抗を示したことは、スポーツと政治の境界を越えた運動が広がるきっかけとなった。

反戦、兵役拒否でも「世界を揺さぶった」

1964年にソニー・リストンを打ち負かし世界ヘビー級王者となった後、アリは非常に有名な言葉"私は世界を揺さぶった!"を口にした。これは、アリが反戦姿勢を示しブラックパワー運動にのめり込むことへの世界の反響を予期するかのようなひと言だった。

ボクサーとしての暮らしを奪われ、良心的兵役拒否者になったため法的保護を否定されたことでアリは攻撃的な態度をとった。ベトナム人は一度も"私を二ガーと呼んだ"ことはないと発言し、米国の当局者を激怒させた。

米ケンタッキー州ルイビルにあるモハメド・アリ・センターに寄せられた追悼メッセージ(写真: ロイター/John Sommers II)

アリはブラックパワー主義者による米国の覇権主義への批判に共鳴。国際原則としての冷戦の有効性に異議を唱え"第三世界"と団結する立場をとった。

彼は米帝国主義、制度的人種差別、白人至上主義を激しく批判するブラックパワーの最も目立ったシンボルとなった。初期のマルコムXのように、政治的暴力に対抗する盾として、NOIの人種的分離思想を掲げた。

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