1つはテレビに関して。当時、テレビ事業の責任者がポスト・トリニトロンテレビの本命と推していたのが高温ポリシリコンLCDを用いたリアプロジェクションテレビ「グランドベガ」だった。「液晶やプラズマは画質がよくない。コスト面でも大画面化に耐えられるのはリアプロ」と説明していたものだ。
もう1つが「ネットMDウォークマン」だ。当時オーディオ部隊は、日本でしか浸透していないMD(ミニディスク)をなんとか欧米でも広めていこうと考えていた。そこで注目したのが、当時米国ではやっていた「パソコンを使ってCD-ROMに音楽データを大量に焼き付け、それを外出先で聴く」という音楽の楽しみ方だ。「CDよりMDのほうが小さい。今こそ海外でMD規格を普及させるチャンスだ」と事業責任者は語っていた。同じ時期、ハードディスクドライブを用いたアップルのiPodが市場に出ていたのだが、まだそこに踏み込む考えはなかった。
決してオーバーに書いているわけではない。これらのソニーの戦略は、週刊東洋経済02年2月9日号「逆襲のソニー」42~43ページにしっかり刻まれている。
コダックは自社が強みを持つフィルムを売り続けたい、という事情から市場の見方を誤った。ソニーも自社開発のリアプロ光学エンジンやMDを大事に思うあまりに市場を見誤ってしまった。
わかっちゃいるけど…
市場の変わり目には、笑い話のような話がいろいろ出てくる。某コンピュータメーカーのパソコン事業責任者は「日本は米国と異なり電話回線のジャックが玄関にある。玄関でパソコンはやらないから日本ではインターネットは普及しない」と主張していた。某大手レコード会社社長は「音楽はアルバムで売るもの。ネットでバラ売りのようなことは絶対にしない」と宣言していたし、某大手通信キャリアの社長は「日本でスマホは普及しない。あれはデータ対応が遅れた国での現象であって、日本には当てはまらない」と真顔で語っていた。
笑うことなどできない。今でもこうした技術の移行時に逡巡し、悩ましい動きをしている企業は多い。大手新聞社は紙の新聞の販売店網と購読者を維持することに力を入れており、電子版だけを安く売ろうとはしない。推奨しているのは紙の新聞とネットの「ダブル購読」だ。これは、いわばハイブリッド。もちろん、事業をやっている人たちはハイブリッドが非効率であることは、よくわかっている。「わかっちゃいるけど」ということなのだ。
出版社も同じジレンマの中にいる。貸し借りや古本の販売ができないため、電子書籍は確実に増収を見込めるおいしい商売だ。紙の本のような莫大な返本がない分、利益率も高まっていく。いいことずくめだが、それでも本腰が入らない。ディスプレーで文字を読む文化がここまで広がった以上、「紙の優位性」を訴えても仕方がないのに、本気で「紙の優位性」を信じている人が多いのかもしれない。
確かに紙は素晴らしいものだ。しかし、ユーザー視点に立てば、利便性との兼ね合いがすべて。利便性が下がれば、これまでの習慣を嫌でも捨てざるをえない。この視点が意外と抜け落ちがちだ。
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