AKB48のルーツは京都花街にアリ!?(下) 「会いに行けるアイドル」というビジネスシステム

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京都にある5つの花街(祇園甲部・宮川町・先斗町・上七軒・祇園東(順不同))では、芸舞妓さんたちが、各花街にある専用劇場(歌舞練場と呼ばれます)で日本舞踊や唄や楽器の演奏を披露します。この踊りの会は、一般の観客にも公開されており、演目ごとに芸舞妓さんたちがチーム編成され、日替わりで舞台に立つという形式です。

また、芸舞妓さんが劇場に臨時に設けられたお茶席でお点前を披露し、お茶の接待もしますから、目の前で芸妓さんがお茶を点てる様子もよく見えます。お茶席には並んだ順番に着席するので、舞妓さんが運んできたお抹茶をいただくことができる、というラッキーなお客さまもいます。

この京都花街の踊りの会のスタートは、祇園甲部の「都をどり」が開催された1872年です。江戸時代、女性が舞台でエンターテインメントを披露することは禁じられていたので、歌舞伎でも男性が女役を演じています。

ところが、明治維新を迎え、京都府知事が京都振興のために開催した博覧会の附博覧(つけはくらん:余興の意味)に、芸舞妓たちが集団で「日本舞踊」を披露するという興行を実施したのです。

80日間開催された当時の「都をどり」は大成功し、翌1873(明治6)年には、新設された歌舞練場で都をどりが開催され、現在まで続いています。都をどりの開始とほぼ同時期に、先斗町の「鴨川をどり」も始まり、他の花街もこの仕組みを取り入れています。

興行と人材育成

京都人にとっても、芸舞妓さんと日常的に会うということは、ほとんどありません。しかし、踊りの会は季節の風物詩として定着し、春と秋、どこかの街に出かければ、華やかな舞台を楽しむと同時に、身近に芸舞妓さんを見ることができます。

大学のゼミ生たちを毎年踊りの会に引率していますが、舞台と客席との距離が近いことに、学生たちは驚いています。また、踊りの会のパンフレットが販売されているので、出演する芸舞妓さんたちの顔と名前も一致し、「想像していたのとは違って、芸舞妓さんたちが近い存在に思えた」と、女子大生たちも話しています。

芸舞妓さんたちが「会いに行けるアイドル」として活躍する京都花街の踊りの会は、最近では国内外の観光客にも人気を博しています。

このように専用劇場で出演者と観客の身近な距離を保ちつつ、興行を提供するという仕組みには、自分たちの都合に応じて興行を開催して集客できるメリットがあるだけでなく、実は出演者の人材育成にも大きなメリットがあります。

なぜ、自前の劇場での興行が人材育成に役立つのか、右の図を参照していただくと、そのプロセスが一目でわかると思います。

京都花街の芸舞妓さんたちは、現役であるかぎり全員が各街にある学校(女紅場:にょこうばと読みます)の生徒というシステムになっています。歌舞練場で開催される踊りの会の興行は、彼女たちにとっては、この学校の発表会という位置づけなのです。

技能育成途上の舞妓さんも、この道数十年の芸妓さんも、自己の研鑽の成果を興行の場を通じて披露し、興行の収益は学校の運営費に充てられます。つまり、継続的にプロフェッショナルを育成するためのコストを、興行を通じて得ているという仕組みなのです。

さらに、多くの観客に見つめられながら能力を発揮することは、技能育成途上の若い芸舞妓さんにとっては、大きな経験にもなります。お稽古で身に付けたことを、興行の場の舞台で発揮することは、自分の能力を確認するだけでなく、彼女たちの本来の仕事の場「お座敷」で、お客さまととても近い距離で芸事を披露する力を養うことにもつながります。

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