崎陽軒や弁松のお弁当に感じる文化と郷愁 ぜいたくでなくても美味いものは美味い
新橋の京味、日本橋の弁松、崎陽軒のシウマイ弁当……。お弁当は“食”のすべてがギュッと凝縮された小宇宙だ! 写真家×演出家による、「美しきものたち」を巡る、大人のエッセイ。
旅の御供といえば
私にその傾向が強いのかもしれないが、男という生物は、大して必要でもなければ、そう役に立つわけでもないのに、どうしても欲しくなって大枚をはたいて買ってしまう物がある。例えば私の場合、ミラノのモンテナポレオーネにあって、刃物、喫煙具などを中心に美しく高品質な男の雑貨を取り揃えていた店、G. LORENZIの旅行用のグルーミングキットがそれに当たる。
この上なく手触りの良い革ケースの中に歯ブラシ、剃刀に始まって、爪の手入れ用品、櫛、鏡、化粧品を小分けする小さなガラスのボトルから、金属製のチューブに入った裁縫道具、果ては革ケース付きのマッチまでが整然と収められている。美しい。見ているだけで楽しい。『さあ、旅に出よう!』という気にさせてくれる。
させてくれるのだが、生来の貧乏性でもったいなくて使えない……。しかも、重い。あまりに重すぎて庶民の旅には実用的でない。
だから私はこのグルーミングキットを時々取り出して眺めながら、“古き良き時代のジェントルマンたちの旅”に想いを馳せる空想の旅に出る。それだけでこのグルーミングキットを買ってよかったと思っている。
旅の御供といえば、まず思い浮かぶのは“お弁当”だ。お弁当で印象に残っているのは、トマス・ハリス作の『ハンニバル』のラストで、パリからツアー客に紛れてデトロイトに逃亡するレクター博士が、パリのフォションで誂えたランチボックスだ。