181cm、73kgの痩身右腕投手は、平均140km前後のストレート、そしてスライダー、カーブ、ツーシームなどの変化球を絶妙なコースに出し入れする投球術が持ち味だ。ボールの力でねじ伏せるのではなく、打者との駆け引きで打ち取っていく。相手の呼吸を感じ、左足を上げるタイミングをずらして凡打させるテクニックは絶品だ。そのピッチングは、「完成度が高い」と評される。
東浜が大学4年間でこの投球スタイルを築き上げた道程にこそ、凡才がトップに上り詰める方法のヒントがあると思うのだ。
早慶よりも亜細亜大を選んだ理由
まず、東浜はものの考え方が常人とは異なる。
高校時代から「ドラフト1位候補」といわれたが、「当時は不安のほうが大きかった。自分を成長させてから」(『Number』815号)と大学進学を選択する。
ここまでなら堅実的の範疇だが、早稲田や慶応にも声をかけられたなか、選んだのは亜細亜大学だった。大半の高校球児は、華やかな東京六大学リーグに所属する早慶のブランドに引かれるのではないだろうか。しかも、東浜は高校3年時春の甲子園が開幕する前に決断を下していたという。
9年ぶりの全国優勝を飾ることになる第80回選抜高校野球大会を控えた初春、沖縄の東風平球場で投球練習を終えた東浜は、視察に訪れていた生田勉監督に「安心してください。ボクの気持ちは決まっていますから」と打ち明けた。高校1年の秋、誰よりも早くから自分を評価し、後に30回近く足を運んだ生田の下で野球をしようと東浜は決めた。生田の「野球も勉強もさせるし、しつけもする」という言葉が胸に響いた。
プロ野球選手に加え、社会科の教員免許取得という目標が東浜にはあった。文武両立を目指す彼の姿は、野球一辺倒の部員には異質に映った。
「東浜さんは練習していません」
生田が亜細亜大学の全選手に提出させている野球ノートに、そう書いてきた下級生がいる。他の部員より必要単位数の多い東浜は、試験前になるとグラウンドに姿を現さないことがあった。
万人に共通の1日24時間の中で、野球に費やせる時間が限られている分、東浜は工夫した。例えば、練習メニューだ。ランニングから練習を始めるチームメートたちを横目に、東浜はウエートルームに向かう。まずはマシーンを使って肉体を鍛え、その後にランニングをするのだ。走ってパワーを消費する前に、最大限の負荷を体にかけることが目的だった。
メニューの構成だけでなく、取り組み方も周囲とは異なっていた。
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