韓国の大企業は、なぜ栄枯盛衰が激しいのか 「大規模企業集団」30年の歴史を振り返る
1980〜90年代、韓国で財界トップを競ったのは、現代グループと大宇グループだったのを覚えているだろうか。
当時は両社の全盛期だった。繊維事業で創業した大宇は、電子や自動車、建設業などにいち早く事業分野を広げ、1980年代に大きく成長した。1990年代初頭、大宇の金宇中(キム・ウジュン、当時)会長が唱えた「世界経営論」は、韓国企業が世界で羽ばたくための出発点でもあった。
大宇は当時、西側諸国の企業が進出をためらっていた共産主義国家を含め、世界各地で活躍の場を拡張していった。「世界は広く、やることが多い」。金宇中会長のこの発言は、当時の流行語にもなった。
大宇の痕跡はすっかり消えてしまった
10年にわたって大宇の事業規模は拡大したが、中身は芳しくなかった。積極的な世界進出にともなって過剰な負債を抱えるようになり、経営の限界が迫っていた。追い打ちをかけたのは1997年に発生した世界金融危機だ。金融危機によってその経営の実態と限界を白日の下にさらされた大宇は翌1998年からあわてて構造調整を始めた。しかし、結局失敗。グループは解体に追い込まれた。
大宇自動車はゼネラル・モーターズ(GM)に売却され、大宇電子や大宇建設、大宇重工業などグループの主要企業も再建団の手に渡り、そこから新しい所有者の手に渡っていった。現在でも当時のグループ内企業が数社、その命脈を維持しているものの、2016年現在、韓国経済において大宇グループの痕跡はほとんど消えたといっていい。
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