ソフトバンク 孫正義 世界一への野望 売上高で世界第3位へ
1丁、2丁と来てついに「6丁」
「豆腐のように、1丁(兆)、2丁(兆)と数えられる会社にしたい」
孫社長は創業当時、社員にこう話していた。スプリント買収で売上高は6・3兆円とNTTドコモを超えるソフトバンク。その歴史は、相次ぐ買収や巨額投資の連続だ。
1981年にパソコン用ソフトウエアの卸、日本ソフトバンクとして創業。94年に店頭公開を果たした後、ジフ・デイビス、ヤフーなど米国企業へのM&Aや出資を次々に行った。中でも米ヤフーへの出資は大成功をもたらすとともに、合弁で設立したヤフージャパンは、ソフトバンクグループの屋台骨を支える優良子会社となる。
90年代を通じたソフトバンクの“十八番”は、米国の有望なネット企業に出資し、同時に日本では合弁会社を設立して、その先端的なビジネスモデルを持ち込むというものだ。孫社長は、「米国で成功したビジネスモデルは必ず日本にも遅れてやってくる」と考え、この手法を「タイムマシン経営」と呼んだ。
目指したのは、ネット企業の大量上場。「『おまえ、何社投資した? 会社いくつ作った?』。あの頃は孫さんに会うたびに、そう聞かれた」。孫社長をよく知る子会社の社長はこう語る。「たくさん作った人間が偉い。孫さん一人じゃ全部できないから、急成長するネットビジネスの世界に、どんどんくさびを打ち込めという感じだった」。
00年代に入ってからはADSLの「Yahoo! BB」を立ち上げ、現在の大黒柱である通信事業に参入した。このとき、名古屋で同事業を運営していた通信ベンチャーを買収している。その社長を務めていた宮川潤一氏は現在、ソフトバンクモバイルの最高技術責任者を務めるキーマンだ。
さらに04年に固定通信を手掛ける日本テレコムを、06年には国内携帯電話3位だったボーダフォン日本法人を買収し、現在の体制を築いた。
買収時のボーダフォンはNTTドコモやKDDI(au)に押され、営業利益は右肩下がり。直前の05年度の営業利益は763億円まで低迷していた。だが、ソフトバンクの傘下に入ると、業界で初めて網内通話無料を打ち出した料金体系「ホワイトプラン」やアイフォーンにより、契約数、1契約当たり収入を伸ばした。直近の12年3月期で携帯電話事業の営業利益は4292億円と6倍近くに。「買収時に、この数値を計画として提示したら、99%の人が『そんなことはありえない。気がふれたのか』と言ったと思う」。ボーダフォンについて語るとき、孫社長はいつも誇らしげだ。