「努力するにもカネがいる」理不尽な日本 「21世紀の不平等」白熱教室in慶応大学
「年収の高い人が相応の努力をしているのは確か。でも、努力した結果どうなったのか。おカネがあっても不幸な人がいる。祖父も父も慶應で自分も慶應を出て、いい会社に入る。受験、就職と慶應の連鎖。何のために努力しているのか。幸福の意味がわからなくなる」
「大学から東京に出てきて、すごい人がたくさんいることを実感する。彼らは確かに努力している。でも、なぜ努力できたのか。それは結局、おカネじゃないか。資格や留学もそう。努力するにもおカネがいる」
子どもの格差は支援すべき
こうした格差問題について、よく語られるのは、「努力が足りないから貧困になった」というものだ。だが、果たして、その人が貧困になってしまったのは努力不足だったからだと、本当に言えるのだろうか。
中島記者は次に驚くべきデータを提示した。それは初めて就職する人の4割が非正規になっているという現実だ。非正規の約7割は年収200万円未満。これは努力不足というだけで片付けられる問題ではないという事実の一端を示している。
さらに懸念されるのが「貧困の連鎖」だ。親が“負け組”になると、その子どもは十分な教育を受けられず、大人になっても貧困状態が続く可能性がある。慶大生は子どものころから努力しているが、それは親が「食卓に漢字ドリルをおいていた」というように、努力するために何らかの働きかけがあったからだと強く自覚している。
だからこそ、「貧困に陥った人たちのサポートが必要なのではないか?」という中島記者の質問に、学生から次のような答えが返ってきた。
「サポートすべきだと思う。最低限の文化的な生活は提供すべき。子どもは、(国の)みんながおカネを出し合って、育てたほうがいい」
「そもそも努力ができない環境にあることもある。親が仕事に忙しく、兄弟の世話をしなければいけない」
「もともと公平じゃない中で、努力だけでどうにもならない部分もあるかもしれない」
「ただし、困ってる人たちだけを助けようとすると、多くの人たちは、自分の負担が増えることを嫌がるのではないか……」
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