「努力するにもカネがいる」理不尽な日本 「21世紀の不平等」白熱教室in慶応大学

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「さらに言えば、都市化によってサービス産業化、IT化が進めば、賃金は必然的に下がっていく。これは先進国中で起きている問題。企業も安い賃金でなければ成り立たないから、長時間働かせて、ある程度の収益を上げるかしかない。こればかりは逃げられない」

「労働生産性が下がり、技術革新も進まない今の日本は病人。この病はおそらく長期的に続くはずだ。企業の悪口を言うだけではなく、また経済のバラ色の未来を語るのでもなく、成長に頼らない社会の可能性をみんなで考えないといけない」

人間の知恵とは何か

それでは、格差は努力不足で起こるという問題についてはどう考えればいいのだろうか。

「そもそも人がどれだけ努力をしたのか証明することは難しく、家が裕福で、健康に生まれ、不自由のない生活を送れるかどうかは『運』によるところが大きい」

「運が悪い人がずっと人生を棒に振るのは理不尽だ。理不尽なものを変えるのが人間の知恵。近代は合理化の歴史であり、理不尽をなくすことで発展してきた。なのに、なぜそこから目を背け、努力不足、自己責任と批判するのだろうか」

多くの人は努力することを無理強いされてきたからこそ、頑張らない人が憎い。ただそうであったとしても、と井手教授は指摘する。

「自由について考えなきゃいけない。そのためにはどんな家に生まれようと、人間が自分の生き方を自分で決められるように、あらゆる生活の基礎をみんなでつくることだ」

「格差を縮めるという言葉に違和感がある。むしろ、助けないでいい状況にすることが大事だ。子どもに対して、貧しいから助けるのではなく、みんなが学び、働いて、貧しくならないために知恵をしぼる。それが人間らしさ。つまり大きな格差を生まない社会、格差があってもそれを受け入れられる社会だ」

井手教授は、ニーチェの「同情とは、人間を愛する者がはりつけにされる十字架ではないのか」という言葉をこう言い換える。「救済、人を助けてやる気持ちとは、善意ある、弱者を見捨てられない人間がはりつけにされる十字架ではないのか」。

「助けるという行為がどれだけ人の心を傷つけるかということを、きちんと考えなければいけない。そうでなければ、生活保護をもらう人が、あるいはもらうのが嫌な人が自殺したりしない。助けてもらって、恥ずかしい思いをして、失格者のレッテルを貼られる。僕たちは、助けられる人の痛みに鈍感であってはならない」

大事なことは、誰もがコンテストに参加でき、運だけで人生が決まらない社会をつくることであり、そんな理想を目指すことができるのは人間だけだ、と井手教授は語る。

「だからこそ、アトキンソンの『21世紀の不平等』は、貧困に気づかせてくれる、問題を見えるようにしてくれるという意味で、とても大切な本だ。でも、僕たちはそこからさらにその先に行って、頭のよい経済学者の提案を受け入れるだけではなく、もっと人間の心を持った、血の通った、人間の顔をした学問や社会をつくっていかなければいけない。僕は、そのことに気づくための貴重な教材として、この本は読まれるべきだと思う」

國貞 文隆 ジャーナリスト

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くにさだ ふみたか / Fumitaka Kunisada

1971年生まれ。学習院大学経済学部卒業後、東洋経済新報社記者を経て、コンデナスト・ジャパンへ。『GQ』の編集者としてビジネス・政治記事等を担当。数多くの経営者に取材。明治、大正、昭和の実業家や企業の歴史にも詳しく、現代ベンチャー経営者の内実にも通じている。著書に『慶應の人脈力』『やはり、肉好きな男は出世する ニッポンの社長生態学』『社長の勉強法』『カリスマ社長の大失敗』がある。

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