ネズミ講が自己啓発と結び付いた最大の理由 「自分は何でもできる」と思う人を育て上げる

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<私たちは自分の人生において、パトリック氏のような、ほんとうの意味のリーダーシップの性格をもった人に会う機会はめったにありません。(中略)彼は、どんな人間でも、みんな一人ひとりが大きな素質(資質)をもっていて、その素質を引き出させることによって、その人を成功させることができると考えていたのであります。(中略)パトリック氏は一つの大きな夢をもっていました。それは現在の人間を一人でもよりよい人間に育てて行こうということです。(雑誌「産業新潮」)1974年5月号>

もちろん、メイク技術的な内容や、化粧品の成分に関するテクニカルな研修も行われていたようだが、社員紹介でも「無限に挑戦する」「私にだってできる!」「“眠れる可能性”を掘り起こそう!」などといった精神的文章ばかりが目につく。

しかし、ここには、おそらく、人格改造としての自己啓発セミナーが喧伝したものと、そして求められた背景が象徴的に書かれているように思う。

なお、このころホリディマジックにかかわった日本人のどれくらいが知っていたか定かではないものの、創始者のウィリアム・ペン・パトリックは1973年にネズミ講として米国当局から、販売員から集めた資格料を返済せよと命令を受け、そして直後に飛行機事故で死亡した。ホリディマジックは、日本でも1977年に倒産することになる。ウィリアム・ペン・パトリックが、劇場の客引き、空軍やセールスパーソンを経験したのち、1964年に設立した帝国はわずかのあいだに崩れ去った。

ウィリアム・ペン・パトリックの“発明”

ところで、ウィリアム・ペン・パトリックは「リーダーシップ・ダイナミックス・インスティテュート」を設立し、自己啓発をセミナービジネス化したと書いた。そこで行われていたのは、4日間で殴られたり睡眠時間を削らされたり、性的な告白を強制させられたり、失敗談を嘲笑されたりすることによって、自分の殻を破るものだったという。殻を破るというが、そこには恐怖体験からくるマインドコントロールのようなものでなかったかと思う。

だいぶクルト・レヴィンの「Tグループ」と形が異なる。ウィリアム・ペン・パトリックは、この過激な経験によって、リーダーや管理職を育成できるとした。そして、その後の人格改造セミナーがお手本にしたように、セミナーの卒業生は、あらたな参加者を勧誘するように強制された。一度参加した人たちがそれで終わりではなく、その“成果”を十分に発揮して、知人を参加させていった。それは拡大に寄与したし、参加者と被勧誘者の人間関係を壊すにもじゅうぶんだった。

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