ノーベル平和賞のEU、欧州統合の歴史【2】

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70年、通貨統合を初めて公式の目標とした「ウェルナー・プラン」が発表された。当時の固定相場制の下でも、対ドル上下0.75%ずつ計1.5%の変動幅は認められていたが、同プランはEC通貨圏でこの幅を徐々に縮小。最終的にゼロにまで絞り、単一通貨を実現するという筋書きだった。

ECはまず変動幅を上下1・2%に絞る実験の開始を決定。この制度は1・5%の変動幅のトンネルを1・2%幅でEC通貨がうねるため、「スネーク」(トンネルの中の蛇)と名付けられた。実験は71年6月開始予定だったが、その直前、ドイツ・マルクが激しい買い投機の攻撃にさらされた。マルクは急きょ、世界初の変動相場制を導入し、投機の圧力を回避。その結果、変動幅を絞るウェルナー・プランの実験は難しくなった。8月にはニクソン・ショックで、ドルと金との交換が停止。通貨危機の激流の中、ウェルナー・プランは立ち往生した。

初の試みは挫折したが、世界の通貨制度が変動相場制に移行してゆく過程の中、EC通貨間の為替だけを一定の幅に買い支え合う「共同変動制=スネーク」の努力は続いた。72年、スミソニアン会議で国際的な対ドル変動巾が上下4・5%に拡大されたのに合わせ、EC6カ国は、変動幅を半分の上下2・25%に絞る「第2次スネーク」の試みを開始。英国をはじめとする5カ国が次々と参加したが、 相次ぐ通貨危機の中で世界的な総変動制の時代に入ったこともあり、英国をはじめ離脱が相次ぎ、74年のフランスの離脱で、第2次の実験も挫折することになった。

通貨同盟が一段と飛躍したのは、独仏首脳がシュミット首相とジスカール・デスタン大統領という経済通コンビとなったのがきっかけだ。両首脳の主導で79年、「欧州通貨制度」(EMS)の設立が決定。為替相場メカニズム(ERM)の下、「ECU(エキュ)」と呼ばれる通貨単位が導入された。

ECUは、各国経済の重みをさまざまな経済指標を取り込んで加重平均した通貨単位で、為替変動の影響を抑制する機能を備えていた。ECの予算にもECUが採用され、ECU債も発行された。ECU創設により、通貨統合は再スタートを切ったといえる。

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