「10円玉があったから公衆電話から電話したんです。女の人が出て、私『62歳です。62歳です』って言って、すぐに面接に行った。お金がなかったからプロダクションのある新宿まで歩いて、女性のマネジャーさんに事情を話したら1万円を貸してくれました。あのときは本当に助かりました。それで採用してくれて、AV女優になった。裸になるのが恥ずかしいとか、そういうのはなにもなかったです。捨てるものとか、なにもないですし、元旦那とは絶縁状態だし。とにかく貯金がなくなって、焦って、お金が欲しかった。70歳までOKと書いてあって、仕事があったって。もしかしたらできるかも、お金になるかもと思って。あのときは、ただただよかった」
62歳でAV女優デビューしたものの……
2011年6月、超熟AV女優になった。夕湖さんはカメラの前でセックスをして数本のマニアックな超熟AVに出演する。
「最初の数カ月間だけ、たまに仕事があった。男優さんと絡む仕事ですよ。AVに出演して5万円とかもらったことあるけど、ほとんどは3万円くらいです。最初だけ月収15万円くらいもらえて、普通に暮らせました。それでしばらくして、だんだんと撮影の仕事がなくなって、家賃も払えなくなって、もう一度ベッドメイクの仕事を探したけど、また断られてばかりで食べ物にも困るような状態になった」
超熟AV女優は、数えるほどのメーカーしかリリースがない。覚悟を決めて裸になっても、すぐに消費される。ギャラも安く、出演料は1本3万円程度。ほとんどの超熟AV女優は多くても10本も出演すれば終わり、必然的に使い捨てとなる。
2012年、AV出演の依頼は完全になくなった。ベッドメイクの仕事をしたくても、どこのホテルに電話しても年齢を言っただけで断られる。もやしを食べるばかりの最低限の暮らしも維持できなくなり、再び100円もなくなった。
そもそも夕湖さんは、どうして家族を置いて仙台から逃げ、飢えをともなうレベルの貧窮に喘ぎながら、東京で一人暮らしをしなければならなかったのか。
「離婚した旦那が最悪の人間だった。DVとかギャンブルとか。私は仙台では旦那の借金の返済に追われて、地獄だった」
ずっと無表情でしゃべっていたが、元旦那の話になると顔をしかめてウンザリしたような顔になった。夕湖さんは22歳のとき、土建業経営者だった元旦那と結婚している。
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