「家賃は4万8000円、狭いですよ。貧乏だけど、なんとか生活はできますよ。夜は電球を点けないでテレビを観るし。暑いときは窓を全開にしてエアコン切っているし。食生活も大丈夫です。お金が入れば、まず5キロ1500円の格安米を買います。5キロあれば1カ月半から2カ月はもつ。おかずはもやしとか安いじゃないですか、20円とか。もやしを買って肉とか魚はあまり食べないから、なんとかなりますよ」
自宅でくつろいでいるからか、夕湖さんは饒舌だった。夕湖さんはTシャツ姿、左手首と左腕にリストカット痕があった。
「ああ、これね。死のうとして切ったの。血がたくさん出るだけで全然死ねなかった。それでAV女優になったの」
タングステンの電球が一つしかない部屋に、夕湖さんの低い声が不気味に響く。
震災の煽りでホテルの仕事を失った
昭和24年生まれ、団塊の世代。高齢女性が「死ねなかったのでAV女優になった」とは凄惨な話だが、その言葉を当たり前のように言う。
「15年前に離婚して、50歳のときに一人で東京に来たんですよ。前は仙台に住んでいて、元旦那と3人の子供は仙台に置いてきた。東京に来てからはこの部屋に住んでいます。ずっと目黒のホテルでベッドメイクの仕事をしていたの。おかしくなったのは、東北の震災から。そのホテルは外人がメインのお客さんだったけど、突然旅行客がホテルに来なくなった。それでベッドメイクを解雇になった。
私、その後に仕事を一生懸命探した。毎日、毎日探した。でも、どんなホテルに応募しても、何度ハローワークに行っても、福島の被災者が優先みたいなことを言われて断られてばかり。年齢的にも60歳過ぎて厳しくて、本当に仕事が全然見つからなかった」
ベッドメイクの仕事は時給1000円だった。朝9時半~15時まで、月給は10万円ほど。家族から逃げて東京で暮らしてからは月給10万円、年収120万円程度の質素な生活をした。2011年に東日本大震災が起こり、突然の解雇。最低限の暮らしもできなくなった。
「クビになったのは、震災から1カ月後くらい。2011年4月ですね。それからいくら探しても仕事は見つからなくて、クビになって半年くらいでお金が完全になくなった。仕事探すのにも面接に行くのにも電車賃がかかるじゃないですか。頑張って毎日、毎日仕事を探したけど、最終的には電車賃もなくなった」
通帳の残高が底をつき、所持金は数枚の10円玉だけになった。部屋に閉じこもって、何日間か飲まず食わず、じっとしながら、これからどうやって生きればいいのか考えた。なにも浮かばなかった。飢えをともなう貧困である。高収入求人誌を必死に眺めると「AV女優、セクシーモデル」という募集広告があった。年齢は「18歳~70歳迄」と書いてある。
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