(第1回)再生医療と幹細胞(その1)

●再生と修復

 眼の再生の研究をしています、と説明するとまず相手が思い浮かべるのは、試験管の中で眼球がごろん、とできるというイメージのようである。しかし、他の臓器も含めて現在の再生医療は、「再生」というより「修復医療」という言葉の方が適切であると考える。かつて古典的発生学での再生の概念は、足を切断されたイモリの足がはえてきたり、眼を失った場合は虹彩という部分から文字どおりの眼球が「再生」してきたり、という概念であった。
 しかし、工学的アプローチで実現する代替の臓器のような場合は別として、現在ヒトへの応用を目的として行われている生物材料をもちいた「再生」の多くは臓器の最も小さな部品である細胞を移植し、これで修繕する、というイメージが近いであろう。その修繕の部品として注目されているのが幹細胞である。

下の写真は、切り刻まれたプラナリアがもとの姿に再生する様子です!

図1-1 プラナリアの再生
(京都大学大学院理学研究科・生物科学・阿形清和教授提供、斎藤由美研究員撮影)
 
 古くから発生学の実験動物として使われているイモリは眼(網膜、水晶体)、手足、あご、尾などを失っても再生することができる。しかも、イモリの足を異なる場所で切断した場合どのように再生するかを観察した有名な実験では、驚くべきことにひじより手前で切断すればひじも含めた完全な前足が、ひじより先で切断するとその先の部分だけが再生する結果となる。

 上の写真(図1-1)はさらに驚くべき再生能力をもつプラナリアという生物の再生の様子を撮影したものである。左側に頭を向けたプラナリアはなんともとぼけた顔をしているが、中央の写真のようにその体を切り分けてしまうと(この場合は6つに切ってある)、そのひとつひとつの破片から完全なプラナリアが再生することが知られている(下図)。よくみるとそれぞれにすでにとぼけた眼ができているのが観察される。プラナリアは体中に全能性の幹細胞があるのだろうか?またその幹細胞はどのようにして、体が切られたこと、そしてどこで切られたのかということを認識するのだろうか?

 哺乳動物にはもちろんこのような再生能力はないが、それが存在しないのか、何らかの理由で隠されているのか、イモリやプラナリアのメカニズムを明らかにすることでヒトの再生へも道がひらけるであろう。プラナリアでどのような研究が展開しているかについては阿形研究室のホームページを参照。(http://mdb.biophys.kyoto-u.ac.jp/

 われわれの体の各部分は様々な形をもち、それぞれが異なる機能をもっている。脳、手足、内蔵など生物学知識がまったくなくても、これらの体の各部分がまったく異なる作用をもっていることは容易に理解できる。これらの部分の最小単位である細胞は、体の異なる機能を実現するために様々な形態や機能をもち、脊椎動物では200種類あるともいわれている。これらがただ一つの受精卵に由来することを考えると、直感的にも個体ができあがるまでの長い過程とその精密な制御機構があることが予想される。これを学問とするのが発生学である。
 発生の過程で細胞は形や機能を変化させて徐々に多様性を獲得していくが、これ以上変化しない最後の形、すなわち私達の体をしめるほとんどの細胞は最終分化をした細胞と考えられ、その前の段階にある細胞が未分化な細胞である。

 幹細胞とは、未分化な細胞で、多分化能と自己複製能をもつものをいう。多分化能とは、様々な形態や機能を持つ細胞に分化する能力、自己複製能とは、細胞分裂をするときに自分とまったく同じ性質の(すなわち多分化能をもつ)細胞をうみだすことができる能力をいう。
 英語ではStem Cell、「みき」の細胞であるが、この言葉の歴史はどうもかなり古いようで少なくとも1900年代の前半にはごく普通に使われている。幹細胞は、クローンの語源がギリシャ語の「小枝」にあるのに対し、文字どおりの「幹」ではあるがStemを英和辞書でひくと「語幹、後の語形変化に対する基本形」(研究社新英和中辞典)という説明があり、私はこれが一番Stem cellの実体にちかく分かりやすい説明であるように思う。生物の体は、機能も形態も異なる様々な細胞が互いに協調して働きながら形成されている。いわば語形変化した様々な細胞に対する基本形が幹細胞である。

※当連載は、2006年末から半年にわたり「再生医療入門~夢の実現を目指して~」と題して東洋経済オンラインに掲載していたものを加筆・訂正しました。 基本的な内容は前連載と同じですが、難しい用語にはわかりやすい注釈をつけ、表現および説明を極力易しく書き直しています。 なお、囲みの注釈とコメントは編集部で付記したものです。

渡辺すみ子(わたなべすみこ)
慶応義塾大学出身。
東京大学医学系研究科で修士、続いて東大医科学研究所新井賢一教授の下で学位取得(1995年)後、新井研究室、米国Palo AltoのDNAX研究所を拠点に血液細胞の増殖分化のシグナル伝達研究に従事。
2000年より神戸再生発生センターとの共同研究プロジェクトを医科学研究所内に立ち上げ網膜発生再生研究をスタート。2001年より新井賢一研究室助教授、2005年より現在の再生基礎医科学寄付研究部門を開始、教授。
本寄付研究部門は医療・研究関連機器メーカーであるトミー、オリエンタル技研に加え、ソフトバンクインベストメント(現SBIホールディングス)が出資。
東大医科研新井賢一前所長(東大名誉教授)、各国研究者と共にアジア・オセアニア地区の分子生物学ネットワークの活動をEMBO(欧州分子生物学機構)の支援をうけて推進。特にアジア地域でのシンポジウムの開催を担当。本年度はカトマンズ(ネパール)で開催の予定。
渡辺すみ子研究室のサイトはこちら
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