信用は自分で作るもの 保木記録紙販売ファウンダー・保木将夫氏①

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ほき・まさお 1931年生まれ。55年文具小売業で独立。61年保木記録紙販売を設立し社長に就任。87年ホギメディカルと改称。同社は医療用不織布製品、滅菌用包装、各種医療用キット製品のトップメーカーとなる。50年にわたり経営を指揮。2007年よりファウンダー。

ホギメディカルは不織布の手術用ガウン、手術用品のキットなどを製造販売しています。25歳で起業したときは、何を扱えばいいのかわかりませんでした。金もない、信用もない。となると、人の売れるものをやったら負ける。ニッチで誰も手を出さない製品、しかも将来有望なものは何か。弟の話をヒントに、心電計の記録用紙に着目しました。

当時は日本のメーカーが心電計を開発中でした。確かにこれは伸びるかもしれない。ところが製品を卸してもらうには40万円必要だと言われました。57年前のこと。私にとってはとてつもない大金です。何とか借金で工面し、心電計メーカーに試験用(診断の前の試験用)として売って歩きました。

信用は自分で作るものだと思っていました。仕入れ先との約束は全部守る、支払いは遅れない。大変ですが、その積み重ねですよ。

今までなかったものを、自分が先に苦労して作りたい

やがて自社で記録紙の製造を始めました。仕入れた原紙に方眼印刷するのです。メーカーになると利益が出るようになりました。

しかし、記録紙は機械が変われば使われなくなる。非常に不安定なので、次にやるべきものを探しました。病院中をぐるぐる回って、いちばん遅れているところに行くんです。そこを直せば病院がよくなるという部署です。その一つが手術用具などを滅菌する中央材料室でした。

当時は手術用具を新聞紙にくるんで滅菌機に入れていました。これではダメだと、紙製の「メッキンバッグ」を開発しました。しかし全然売れない。営業マンも嫌になって半分が辞めていきました。ところがある日、東京医科歯科大学から大量の注文が入った。「明日朝までに自動車いっぱい持ってきてくれ」と。

何でも、新しい滅菌機を導入したところ、滅菌の温度が高くなって、今まで使っていた樹脂製の容器が溶解したそうです。製品には自信がありましたから、使われればしめたもの。これがきっかけで製品の認知度が上がりました。その後は大手印刷会社など競争相手も出てきましたが、紙に特殊な加工をしているので、昭和39年の発売以来、トップシェアを守っています。

私は2番手は嫌いなんです。今までなかったものを、自分が先に苦労して作りたい。メッキンバッグに続き、不織布を使った手術用ガウン・手術布、手術用具をキットにして届けるキット製品、それをもっとシステム化した「オペラマスター」と、誰も手掛けていなかった製品を作り続けています。

週刊東洋経済編集部
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