経営のセンスは伝授できない 保木記録紙販売ファウンダー・保木将夫氏④

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ほき・まさお 1931年生まれ。55年文具小売業で独立。61年保木記録紙販売を設立し社長に。87年ホギメディカルと改称。医療用不織布、滅菌用包装、医療用キット製品のトップメーカーとなる。同社は売上高318億円、営業利益77億円の高収益。2007年よりファウンダー。

どんなにいい仕組みを作っても、経営は最終的には人だと思います。いい人材だと見込んだ人物がいて、ある部署の責任者に据えました。そうしたら、生産は落ちるわ、経費はかかるわで、毎月1億円の赤字になりました。それでほかの人に替え、半年後に2000万円の黒字にしました。

 経営のセンスは伝授できるものではありません。経営のできる人を探し出して、必要なところに当てはめる以外にはない。私の言うことを理解して、そのとおりにやって成功した人はいます。しかし、大抵の人は自分の考えを持っていますから、教えても言うとおりにはしない。それで失敗するんです。

家電メーカーも、オーナー企業の仕組みでやっていたときのほうが伸びていたでしょう。その人たちがいなくなってしまった。勢いのあるサムスンもオーナー企業です。

新製品はなかなか売れないもの

これまでの経営判断で最も迷ったのは為替レートの見極めでした。米国デュポンの素材を使った医療用の不織布製品に力を入れていた1995年、円高が進み、1ドル=100円超から80円を切るまでになりました。

私は85円ぐらいで収まると思っていたんです。85円からV字型に円安に戻るのか、円高が横ばいで続くのか、あるいはU字型にゆっくり上がっていくのか、専門家に聞いてもつかめませんでした。

 円高だからと値下げして、「為替水準が戻ったから値上げします」と言えるのか。営業に聞くと無理だという。そこで1ドル=105円を前提にして、値下げしませんでした。毎日、朝から晩まで罫線を書きながら、為替水準を考えました。下がるたびに損をするので、冷や汗をかきつつ、どこで動くか、じいっと見ていたんです。やせましたよ。

為替は4月15日に79円50銭をつけて、すぐにV字型になったので助かりました。結局、うちは値下げも値上げもしないで済んだんです。

他社はシェアを取るために値下げし、為替が戻ってから値上げしようとしましたが、病院は認めませんでした。すると売れば売るほど赤字になる。彼らは手を引き始め、ほぼうちの独占になりました。

とはいえ、私にも失敗はあるんです。数年前、内視鏡手術が今日ほど普及するとは予測できず、関連する新規事業に乗り出さなかったのです。この60年、今までなかった製品をいくつも発売してきましたが、すぐに思ったようには売れませんでした。新製品はなかなか売れないものだということはわかりましたよ。

週刊東洋経済編集部
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