とはいえ、1950年からの朝鮮戦争で好景気にわく日本では、短期間で社員を養成する必要性に駆られたし、管理職においては部下や協力企業をまとめる即席リーダーの需要があった。
Tグループの日本への伝播
そこで紆余曲折ありつつも、徐々に脚光をあびたのがTグループだった。本格的に導入されたのは、1960年代に入ってから。産業界からの養成に応え、社員の性格を瞬時に変える教育訓練と意味が変化していった。モーレツ社員を育成しようとする教育プログラムも誕生している。
また、リーダー育成からすると、このTグループは都合の良い側面もあった。Tグループでは回を重ねるたびに、真剣かつ熱心な議論が行われた。「いま、ここで」メンバーが真剣なとき、どうでもいい、といった態度は許されない。他人の意見を傾聴する態度も生まれ、他人の感情にも敏感になる。
言うことが論理的に正しくても、メンバーから納得されない、といった経験もする。信頼関係を築くことでやっと話を聞いてもらえ、動いてもらえる、というのは、まさにリーダーに必要な素質だ。
象徴的だったのは、1962年の雑誌「産業訓練」(日本産業訓練協会)に大幅なページを割いて、Tグループ、グループ・ダイナミクス、感受性訓練が紹介されたことだ。その4年前から、日本キリスト教界は感受性訓練を開始しており、関係者が対談の形でその実情について語っている。
この対談では基本的にTグループ手法を礼賛している。面白いのは、司会者がやや強引な形でTグループの産業訓練への応用を語らせていることだ(趣旨ではないため匿名とするが、司会者は有名企業の人事部参与)。司会者の質問を受け、対談者のひとりは、<特に製造部門や、セールス部門ですと、それによる成績いかんがはっきりするわけですよね。だから、そういうような点からいえば、産業界にもこれから導入されて、こなされれば、教会よりも効果的ななにかがあるんじゃなかろうかという気がするのです>(雑誌「産業訓練」1962年12月号)。ちなみに、このとき、Tグループの研修が業務成績にはっきりと影響を与えていると定量的に示したデータはない。
ただ、やはり問題も多く、昭和43(1968)年5月にはTグループ訓練中に、参加者が自殺したことがある。ショックを受け、研修を続けられなかった。Tグループは、そもそもレヴィンの経験した偶然から生じたものだが、まだ商業主義的な意味はなかった。私が紹介した事例のなかにも、「期間は2~3週間」と記述した。人間の変化自体、あらかじめ定められた期間のなかでぴったり生じるはずはない。
しかしそれがマニュアル化され、パッケージ化され、そして教育産業にセミナーという形で拡販されていく運命を辿った。今回から数回にわたって、自己啓発ビジネスの誕生と、日本への展開を紹介していく。
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