日本男児「総伊達男化」という遠大なる野望 これが「東京ファイトクラブ」だ!

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最近は炭水化物や糖質は解禁しているというが、1年程前から始めたトレーニングは現在も継続し、体脂肪10%以下の体形を維持している。

長年の友人でかつ同い年の2人。トレーニング中の表情は真剣そのものだが、途中休憩を挟みながら他愛もない話で盛り上がり、少しきつくなってくると、「ちょっといつもよりウエイト重くしてない!?」 などと冗談を飛ばし、終始和やかな雰囲気。

単に短期集中で絞ったら、目標達成! ではなく、トレーナーとお客さんの個人的な繋がりを大事にし、長期的に価値観を共有出来るスタイルがこのジムの特徴だ。

『ジムではなく、トレーナーで選ぶ時代へ』をコンセプトに、共感する多くの経営者や業界人が足しげく通う。

23歳の時の出会いから、2人が経営者として共に成長していく姿を間近で見られるのは、お互いに刺激的でモチベーションにもなっていると話してくれた。

◆翌日、11:00AM

毎朝7時に起床し、9時頃ジムで1時間程トレーニングをしてから、昼前に原宿にあるオフィスへ向かうのが日課だ。基本的に朝食は食べない。

現在、原田氏は「Skin’S language」の代表取締役兼代表スタイリストとして、オーダーメイドファッション事業を手掛けている。扱うのはオーダースーツ、ジャケット、シャツ、ネクタイ、靴と幅広く、カウンセリングでお客様の要望を基に、「カッコいい男」のトータルコーディネートを提案・提供している。

ドライバーを経て、一度は挫折したファッション業界に

19歳の時にスタイリストを夢見て青森から上京。専門学校のスタイリスト科に入学した。

どちらも、イタリア・フィレンツェで毎年1月と6月に開催される世界最大の展示会「PITTI UOMO(ピッティ・ウォモ)」にて

「スタイリストの仕事は、ひと一握りの人しかなれない狭き門なんですよ。実家暮らしかヒモしかなれないと言われるくらいです。当時は貯金を切り崩す生活で、気付いた時には300万くらい借金を作っていました」

専門学校を卒業後、メンズノンノのスタイリストを目指したものの、理想と現実のギャップに直面し、半ば挫折。ファッション業界を離れ、次にした仕事はタクシードライバーだった。

当時、ある若手実業家と知り合ったことをきっかけに、彼が経営する事業の一つであったタクシー事業に関わることになったのだ。

「たしかにタクシーはそれなりに稼げましたが、3か月くらいでやっぱり違うなと思いました(笑)。当時は借金を抱えていましたし、とにかくその状況を抜け出すことに必死で、26歳の時にネットで物販ビジネスを始めました。

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