「仏教の世界観のもと現代を生きる方法」とは 経典の本質を守りつつ、伝え方はポップに

✎ 1〜 ✎ 6 ✎ 7 ✎ 8 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

確かに、数々のお坊さんにお会いしお話を聞くと、お坊さんといっても実に多様な方々がいるのがわかる。当然、宗派の違いはあっても「宗派を超える」ことが昨今のお寺業界のムーブメントであるならば、多様性は個々人のキャラクターの違いなのだろう。真面目で実直な方もいれば、芸人のごときトークが上手な人、ビジネスマン顔負けのプレゼン上手な人、フットワークが軽い行動派僧侶、もちろんサラリーマン僧侶もいれば、医者兼僧侶もいる。歌って踊れる僧侶もいるそうだ。重要なことは“仏教の本質がわかっている”人々である、ということだ。

「戒律」と「普通の人」とのバランス

フリーペーパー『フリースタイルな僧侶たち』の中で、池口さんはこのように書いている。

「よき僧侶たちは、世俗とは一線を画すような仏教の精神によって生きる。だが、伝統的な精神を継承しながら目の前の新しい現実と向き合うのは簡単ではないから、もどかしく歯がゆい想いを抱くことになる」

『フリースタイルな僧侶たち』最新号。偶数月の1日に発行。入手方法はwww.freemonk.net/を参照。

戒律を守りながら社会とコミュニケーションをし、人々の苦しみに寄り添い続ける。それが現代のお坊さんの使命。それは確かに、ジレンマに悩まされることが多いだろう。山にこもって修行をするだけではない。多くのお坊さんは、私たちと同じ社会の中に生きている。

「律の規定を守って晩御飯を食べないようにしていた時期がありました。ずっと食べなければさほど辛くないのですが、お付き合いなどで食べなければならない日が1日もあると、続けるのがしんどくなります。仏典に書いてあるような、お坊さんらしい生活は日本では現実的には無理。願わくば両立したいと思っていますが、正直、日々打ち負けています。

仏教界で日本のお坊さんは特殊です。東南アジアの僧侶は厳しい戒律の中で生きていますが、日本の僧侶は肉食妻帯が許されています。それに意見はあるかもしれませんが、その結果、日本のお坊さんは親しみやすい存在になったはずです。皆さんと同じように家庭を持ち、同じ悩みを抱えている。だからこそ、日本の社会の中で存在価値を発揮する。われわれも普通の人。ですが仏教を深く学んでいて、教えを教えられる人。それが僧侶なのだと思います。仏様の側を向けるように合図をする、普通の人です。

ですが、僧侶にしかできないこともある。仏教は長い歴史の中で体系化されたものです。いわゆる祟りや呪いなどを説いて恐怖心をあおるよりも、生活の中で人々の精神が豊かに深められるような仕組みを広めていくことが大切だと思います。それをうまく伝えていくことはお坊さんにしかできないことでしょう。『仏教の世界観のもとに現代を生きる』とは何だろうという問いを、つねに持っておきたいですね」

私たちはお坊さんに何を期待してよいのか。お釈迦さまの願いは人々を苦悩から救うこと。その教えを現代語訳してくれるお坊さんたち。同じ目線で、救いの道を示してくれる、普通の人。周囲を見回せば、そんなお坊さんが、実はたくさんいるのである。

島田 ゆかり ライター

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

しまだゆかり / yukari shimada

月刊誌・企業広報誌などの編集を経て、フリーランスのライターに。寺社好きが高じ、お寺業界の様々なトレンド、裏事情などを取材、発信。ほか、女性のライフスタイルなどの企画・編集・執筆も手がける。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事