「ダウン症」で生まれた子どもは不幸ですか? 世界ダウン症の日に考えたいひとつのこと
人間は誰しも、おぎゃ~という泣き声とともに、無限の可能性を背負った赤ちゃんとして、この世に生まれてきます。けれども、親はいつしか、「この子は これには向いてない」、「あれは ちょっとできないだろう」と、その特性を見極めているつもりが、子どもの可能性を、知らず知らず狭めていってしまいます。
しかし、ダウン症のご家族は、「あれもできた、これもできた。挑戦してみたら…意外とできるやん!」と、その可能性を広げながら人生を、ゆっくりと生きていきます。
それは、心の収穫が多い人生であり、尊く、ある意味、何よりも人間らしいとさえ感じられるほどです。
自分だったら…大切なのは「想像力」
今年4月から、「障害者差別解消法」という法律が施行されますが、ダウン症に限らず、障害者への支援については、「思いやり」や「優しさ」で語られることが少なくありません。
しかし、それ以前に 大切なのは、何より「想像力」ではないでしょうか?
子どもでも、両親でも、恋人でも、お孫さんでも構いません。もしも、もしも、自分の大切な人から、
「わたし、生まれてこなくてよかったの? わたし、いらないの?」
そう問われたなら……あなたは、どんな感情を抱きますか?
1分間で、かまわないんです。真剣に想像してみてください。その時、胸にこみ上げてきた「苦しさ」、「つらさ」、そして「悔しさ」が、ダウン症の人たちへの「優しさ」に変わるはずです。
3月21日「世界ダウン症の日」の目的は、「ダウン症について広く知ってもらうこと」です。
人間は、知らないものに恐怖を覚えます。ダウン症についても、知らないから、怖さを覚えたり、時に、「かわいそう……」と推し量ってしまうことがあるのだと思います。
当然ながら、「平凡なダウン症の家庭」は、あなたの街に、あなたの隣に存在しています。私たちと同じように、今日も、笑って、泣いて、怒って暮らしているのです。
どうか、「生きたい……」と願う小さな命を、ダウン症を理由にして諦めないでください。ダウン症は決して不幸ではありません。私が取材を通じて、そう強く感じた現実を、より多くの方々に知っていただきたいと思います。
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