大脱走 裏切りの姫 鈴木英治著
武田家滅亡直前の甲府を舞台に繰り広げられる家臣たちの戦国小説だが、中心テーマは単純明快である。主君・武田勝頼を見限った駿河城主、穴山信君(梅雪)の妻で信玄の娘、千鶴(ちづ)と嫡子・勝千代の甲府からの脱出行が成功するかどうか、この一点にすべては収斂する。勝頼に忠誠を誓う前島平蔵が、お家のために脱出を妨げようとして粉骨砕身する、その両者の駆け引き、戦いのドラマである。
とはいえ話の膨らみはさまざまに付け加えられ、人物像にも陰影がほどこされていて、十分に厚みがある。千鶴側からと平蔵の立場からの話が交互に現れ、物語は織物のようにして展開する。非情だが人間味溢れる平蔵、誰の死であろうと心を痛める心やさしい千鶴、どちらにも肩入れしたくなる。単に正邪で片付けない構成の妙だろう。殺し合いの場面はリアルにすぎるほどだが、結末に救いがあることも手伝い、さっぱりした一級エンターテインメントに仕上がっている。(純)
中央公論新社 1680円
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