どっこい生きてる地方中小私鉄、知恵と工夫で支える地域の足《鉄道進化論》
【智頭急行】京阪神-鳥取を大幅短縮した三セク路線の優等生
鳥取県東南部に位置する山あいの町、智頭。因幡街道を往来する旅人で賑わい、林業で栄えたこの町も今はひっそりと静まりかえっている。
智頭と岡山県上郡を結ぶ鉄道が計画されたのは1922年。約半世紀後の66年に建設が始まった。だが、すでに国鉄は慢性赤字に苦しんでいた。79年に閣議了解で建設中止が決定。95%も工事が完成していた智頭線は空しく放置されることになる。
この計画を第三セクター方式で復活させる動きが始まったのが85年。翌86年には近隣自治体などの出資で智頭鉄道(94年に智頭急行に社名変更)が設立された。87年に工事を再開し、94年に智頭線は開業した。
沿線には智頭宿、あわくら温泉などの魅力的な観光スポットが点在しているが、全国的な知名度は低い。また沿線人口も少なく、上郡-大原と大原-智頭間で運行されている普通列車はいつもガラガラの状態だ。
だが、同社の経常損益は、開業5年目の98年に早くも創業赤字から脱却、現在まで黒字を維持している。この背景にあるのが、JR西日本との特急の相互乗り入れだ。
鳥取、米子、松江など山陰諸都市は交通の不便に悩んできた。京阪神からは山陰本線の大半が単線・非電化で非常に不便だ。山陰住民の願いは京阪神へのアクセス改善だった。
山陽山陰連絡線は複数あるが、智頭線が開通する以前、大阪-鳥取を短時間で結ぶルートはなかった。当時は播但線経由の特急で約4時間半もかかっていた。それが智頭線の開通で2時間36分に短縮されたのだ。
智頭線には、京都-倉吉の「特急スーパーはくと」と岡山-鳥取の「特急スーパーいなば」が運行されている。スーパーはくとは智頭急行の車両だ。運行3年目の96年度から年70万人台を維持しており、乗車率も94年度の開業時から50%以上をキープ。「特急が普通列車の赤字を埋めて支えている」(北尾美佳・智頭急行総務係長)。中国横断道姫路鳥取線開通と高速道路料金引き下げに向けた対策、普通列車の利用促進などが今後の課題だ。
[写真]「京都-倉吉を結ぶ特急スーパーはくと」は、スマートな車体と豪華な内装が魅力だ
(週刊東洋経済)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら