日本の誇りを守るため「伝統文化」も変化せよ なぜ、ここまで「ボッタクリ」がまかり通るか

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以前、京都の有名なお店の人から「すばらしい日本の技術だ」と勧められて、高級な京漆器を購入したことがあります。販売員は何千年も続いた日本の伝統技術を強調していました。あたかも漆から金箔から、すべて本物であるかのようなセールストークを受けたのです。実際、何よりも重要なポイントですが、その値段は「ほんまもん」にふさわしい値段でした。

「漆=china」?

しかし、小西美術工藝社に入ってから調べてみると、京都では文化財以外、日本産漆をほぼ使っていないことがわかったのです。その漆器に使われている漆は中国産でした。先ほどご説明したように、英語では漆のことを「japan」と言うのですから、「日本の伝統技術=漆」だと一部の外国人は思っています。それが実際には中身が「china」だったというのは、大きな衝撃でした。

漆は中国産かもしれないが、塗ったのは日本人の職人だから「すばらしい日本の技術だ」という売り文句にウソはないだろうと思う方もいるかもしれません。たしかに、伝統工芸品には原材料まで表示する義務はありませんので、法的には問題ありません。私も普通の製品ならばそこまで目くじらを立てる必要はないと思うのですが、これを「世界一」とか「世界に誇る」などの宣伝文句で売って、最初から最後まで日本の職人がつくったと思わせるような値段設定をしている場合、看過できない問題があると思っています。

ここは一番大事なポイントなのですが、安い素材を使うならば、その分だけ消費者に還元すべきだと思います。伝統技術だから高いというイメージを利用して、値段は高いままで、中身はどんどん安い素材などに変えていくというのは、悪質ではないでしょうか。

消費者はその価格を見て、そのセールストークを聞いて、「日本人の職人を支えるために買おう」と考えるでしょう。品質だけを下げる行為は、その気持ちに対する裏切りです。ただちに原材料の表示義務を課して、安物には安い値段、「ほんまもん」には高い値段をつけて、消費者に選ばせるべきだと思います。安物なのに値段を高くするのは、「日本の伝統」を悪用したボッタクリです。

想像してください。たとえば、「日本の和牛は世界一」と看板に大きく書かれた鉄板焼き屋で出されたものが、実はオーストラリア産の牛肉だとしたらどうでしょう。「和牛の話は一般論にすぎず、出している商品とは関係ない」という言い訳は成り立たないでしょう。

しかもその鉄板焼きの値段が和牛を思わせるくらい高いとなれば、たとえ法律には触れなくても、やはりだまされた気分になるはずです。日本の牛肉を誇っているのだから、そこに出てくるのは当然、日本の牛肉であって、海外産というのはありえないと思うのです。

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