日本の誇りを守るため「伝統文化」も変化せよ なぜ、ここまで「ボッタクリ」がまかり通るか

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このように考えてくると、大きな問題にぶつかります。それは、私が買った「京漆器」というのは果たして、本当に日本産と言えるのかということです。

現在、日本国内の法律では、漆の生産地まで明記する義務はありません。しかし、ほぼ100%近く海外の「漆」が用いられていながら、その「漆」を京漆器というブランド、製品名として大きく掲げ、日本人のみならず外国人観光客にも販売しているということは、法律というよりもモラルとして大きな問題はないでしょうか。しかも、くどいようですが、値段が高くて「日本の伝統技術」をうたっているわけです。いずれこれは、大きな問題に発展しまうのではないかと私は考えています。

どこからが日本の伝統漆工か

どこからが日本産の漆工なのか(写真:cajon / PIXTA)

この問題は、「どこからが日本の伝統漆工なのか」という定義の問題にも関わります。売る人が日本人なら「日本伝統の漆器」なのでしょうか。塗る人までが日本人であれば、材料は関係なく「日本伝統の漆器」なのでしょうか。

私は本物の日本の伝統漆工、たとえば京漆器は、「山から始まる」と考えています。漆の苗を植える、漆をかく、その道具をつくる、塗る――すべてが日本の伝統技術を習得した日本人によって行われて、初めて「日本伝統の漆器」と言えるのではないでしょうか。繰り返しですが、安い漆器であれば問題ありません。問題は、中身は安物なのに、値段だけが高い漆器です。これがなぜ問題かというと、日本の伝統技術を売りにしながらも、日本の漆かき職人の仕事を奪っているからです。これこそが、職人の仕事の機会が激減している最大の理由のひとつなのです。

常識的に考えても、「アジアの」ではなく「日本の漆文化」と言うのなら、漆の木からスタートして、それをかき出して、塗ってという全工程を指します。そうではなく、塗る技術だけで「日本の伝統漆器」と呼べるなら、もはや塗る行為すら日本でやる必要がなくなります。海外ですべての工程がまかなわれていても、京都の店で売ってさえいれば「京漆器」ということになってしまいます。

この問題は、食料品にも通じるかもしれません。海外産の食材でも京都で加工すれば、「京都産」として売ってもいいのか。それでは消費者をだましていることにならないか。これは「表示」という問題全体にも通じるのではないでしょうか。

さまざまなご意見がある問題だと思いますが、私としては、消費者視点に立てば、「日本の漆で日本の職人がつくった器」と「中国の漆で日本の職人がつくった器」と「中国の漆で中国の職人がつくった器」の違いをしっかりと明記して、それぞれの価値に見合った価格をつけるべきだと思っています。そのほうが消費者に「選択の幅」を示すことができるので、結果として漆というものの価値を守ることになるのです。

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