創造性にとって「インテリ気取り」は拘束具だ 先入観を持つと本当の価値がみえなくなる

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《パピー》は、大きくて、派手で、色彩豊かだった。大衆受けが良く、何よりクレイジーだった。それはアメリカ文化の凝縮された姿だ。アート愛好家たちは、何時間もかけて作品の意味を論議した。論議しなかった者は、思わず笑みを漏らして作品を楽しんだ。多くの現代芸術作品と違って《パピー》は観る者を拒絶するかわりに手を差し出して招き入れ、観た者はそれに反応した。

クーンズは、キッチュで悪趣味な彫刻を使うことで、一般に受容された「高尚」な美意識に挑みかかったのだ。キッチュで下品な表現を常に拡張し増幅させながら、クーンズはアート界に巣食う排他的なパトロンたちの神経を逆なでした。クーンズ作品は、その巨大さによって無視するのが難しい。クーンズの作品は、地球上で最も排他的で特別な美術館に所蔵されるに至った。《パピー》は、ビルバオのグッゲンハイム美術館の外に常設展示されている。

ところで、件の悪戯男だが、もちろんジェフ・クーンズ本人だった。完璧を追及するクーンズは、夜遅くになっても作品の細部を調整していたのだ。優しくてフレンドリーなクーンズは、私にも花を何本か配置してみるように誘ってくれた。

「低俗文化」を切り捨てると、大きな部分を見逃す

クーンズのようにクリエイティブな人は、「良い悪い」そして「高尚、低俗」という考え方そのものを茶化す。『シンプソンズ』のあるエピソードがシェイクスピアの芝居より優れているわけでも劣っているわけでもないのだ。それぞれの特質がある。ジェイ・Zを聴いていたと思ったら次がマー
ラーでも、何の問題もないのだ。いわゆる「低俗文化」を切り捨ててしまったら、私たちの人生を占める大きな部分を見逃すことになってしまう。クーンズは、キッチュと高尚な芸術を分かつ境界をぼかしてみせたのだ。ロック音楽は疑いなく「低俗文化」から発生したものだが、ピンク・フロイドのようなバンドが登場して「低俗」と「高尚」の垣根を壊してしまったのだ。

英語で知性の高低を示す「額が高い(ハイブロー)」「額が低い(ローブロー)」という言葉は、19世紀末に流行した骨相学という疑似科学に端を発している。頭骸骨の形状が知性を判定に使われ、額の高い人は知性も高いということになっていた。額が低ければ頭が悪いということだった。科学的に骨相学は信用に値しないとされた後にも、その言葉は残ったのだ。しかし、エリート的な態度からはクリエイティブな思考は生まれない。インテリ気取りは、創造性にとっては拘束具にしかならないのだ。

クリエイティブな思考の持ち主は、一般的に見過ごされているものに価値を見出す一方、見過ごされている人にも価値を見出す。そして、すべての人からクリエイティブになるポテンシャルを引きずり出そうと画策する。創造性は一部の人が独占しているわけではないと知っているからだ。

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