ジョン・ウー --レッドクリフを作った男の執念【下】
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初の“撮りたい映画”がヒット作『男たちの挽歌』
転機が訪れたのは85年。香港に戻ったウーに朗報が届いた。長年撮りたいと切望してきた「ヒューマンな犯罪映画」にゴーサインが出た。それが出世作『男たちの挽歌』だ。
「撮影が終わったとき、必ずヒットするという確信があった。この成功のおかげで、私は自分の直感を以前よりも信じることができるようになったのです」
『男たち--』は、二丁拳銃、メキシカンスタンドオフ(拳銃を相手に向け合う)、スローモーションを多用したアクションなど、ウーの映画に欠かせない要素がすべて詰まっている。むろんウーが言うとおり、単なるアクション映画ではない。
「香港に帰ってきたときに、まず気づいたのが若者の心の変化。エレベーターに乗っていたとき、隣にいた若者が何のためらいもなく床につばを吐いた光景を目にして、中国人の伝統的な仁義の精神や家庭観念がなくなっていると感じた。映画ではみんなが忘れたこうした精神を描こうと思ったのです。この映画を見た多くの観客が涙を流しました。それはみんな私と同じような気持ちを抱いていたからだと思う。仁義の精神や道徳観念は喪失してしまったのではない。忘れていただけなんだと」
『男たち--』はシリーズ化され、いずれも大ヒットする。この頃、現在に至るまで製作・監督でコンビを組むことになるプロデューサー、テレンス・チャンと知り合う。当時、チャンはウーから「三国志」を映画化したいと提案されたことを覚えている。だが、チャンは時期尚早と判断した。チャンは言う。
「三国志の映画ならヒットするという確信はあったが、実際に撮影するのは簡単なことではない。当時はCG技術だって登場したばかりだしね。資金もなかったし、香港には広いロケ地もない。彼がそう言っても私には冗談にしか聞こえなかった」