狂ってしまう人と踏みとどまる人の決定的な差 批判はいいが強制的に受け入れさせるのは危険

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批判のバランスとコミュニティーの必要性について考えます(写真:Vladimir Zapletin/iStock)
今の世の中にはそこかしこにフェイクがあふれ、政治の腐敗は止まらず、世界的にも人々をうまく扇動できるインフルエンサーが力を持っている。
「人々が勝ち取ってきた民主主義の未来は危機的な状況にある」と警鐘を鳴らすのは、えらいてんちょうこと矢内東紀氏。怪しいオンラインサロンやインフルエンサー、カルト宗教、政党などに批判を加えてきた。批判とは何か、なぜ批判が必要か。「『批判と中傷』区別つかない人がカモにされる訳」(2020年6月12日配信)に続いて、著書『批判力 フェイクを見抜く最強の武器』から一部を抜粋してお届けする。

批判を受けさせる、応答させようとするのは危険

私は、批判を非常に大事なことだと考えていますが、だからといって批判された人が直ちにその批判を受け入れなければならないとか、批判されたら応答しなければならないとは一切思っていません。なぜなら、批判を受け入れさせようとする、応答させようとする行為は、大変危険な考え方にもとづいているからです。

適切な批判をすれば、わかる人には「適切な批判をした人」だとわかるし、適切な批判を受けたにもかかわらず、適切に返さなければ「まっとうな批判をも受け入れない人」と評価されるだけであって、それ以上でも以下でもありません。対応しない人に対して対応を迫るのは、連合赤軍の総括と同じで避けなければなりません。

前提として、規範に反するような人間はたくさんいるということです。そのような人間に批判を受け入れさせて、正そうとするのは難しいことであり、その行き着く先は「批判を受け入れない人間を消す」という考えです。

「規範に反するコイツはクズな人間だ! クズな人間を亡きものにしてしまおう!」というのは、日本で言えば連合赤軍、カンボジアではポルポト政権、中国であれば毛沢東率いる中国共産党による文化大革命と、大変危険な思想につながっていくことは、歴史が証明しています。本当にこれは地続きです。規範に反する人を見つけて「あいつは規範に反する人間だ! 罰しろ!」と言ってすぐに処刑するといったことは、歴史上、さまざまな場所で行われてきました。

ですから、批判はもちろんするのですが、それを強制的に相手に受け入れさせるというのは、越えてはいけない一線なのです。

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