「批判と中傷」区別つかない人がカモにされる訳 煽動する人は言いくるめたほうが得だから言う
よく「批判するのはダサい」「批判なんてしていないで自分のやりたいことをやろう」と言ってくる人がいます。こういったことを言う人間は、非難や誹謗中傷と批判の区別ができていませんし、批判の意味や役割を無視している場合が多いです。間違っていることに対して間違っている、悪いことには悪いと言うのは当たり前のことです。
「ネコをねずみ」と言う人の言う「批判するな」
極端な話ですが、例えば「ネコ」を見て「これはねずみだ」「鳥類だ」と言っている人間に対して、「いやそれはネコですよ」と言うと「批判するのはよくない」「批判するだけでお前は何を生み出しているんだ。批判してないで行動しろ」と言われるようなことが本当に多いのです。
ネコやねずみというのはもちろんたとえですが、要するに、事実誤認や極端な評価の違いに対して指摘すると、「批判をするな」と言われる世界がある。おかしいことにはおかしいと言わなければいけない。当たり前のことです。しかし現実には、その当たり前が通用しない世界がある。
それが可視化され、目立つようになった背景には、インターネットの発達とSNSの発展があります。誰でも発信ができる世の中になったことで、そういった事実誤認や極端な評価の違いが区別できない人、批判と罵詈雑言の違いがわからない人が可視化されているのです。
思想家の内田樹氏がよく引き合いに出す小説家・村上春樹氏の言葉に「時代によって知性の総量は変わらない」というものがあります。私もそのとおり、そのような批判と罵詈雑言の区別ができない人の数が増えているわけではないと思っています。
ではなぜ、そういった人が増えているように見えるのか。ネコをねずみだと思ってしまうような人でも誰でも発信でき、それが目に見えるようになったからです。
これまでは、そんな人間の声がこれほど遠くまで聞こえてきたり、大きくなったりすることはありえませんでした。そういった人間には「発信手段」が存在しなかったからです。
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