わが子を殺された遺族の苦しみは癒されない 蔑ろにされてきた被害者遺族の人権
その藤井誠二が怒っている。少年であるがゆえ「A」という仮名によって顔も人格もわからないまま少年の処遇が決定し、「更生」という錦の御旗のもとに隔離され、一定の年月の教育がされる。もちろん少年心理学のプロたちが、威信をかけて教育を施しているのだろうが、きちんと更生された実態は被害者家族に知らされない。ここでもまた蔑ろにされたままなのだ。
それだけではない。加害者の「逃げ得」の実態にはあぜんとさせられる。少年審判が下り、その後民事訴訟によって損害賠償金が設定されても、まともに払われることは少ないという。複数犯の場合、賠償金の割り当てを不服として、そこでまた争いが起こってしまう。それが解決されない限り、賠償金は1円も支払われない。
少年であるがゆえに守られるものがあるなら、監督者として彼らの保護者は賠償しなければならないはずだ。驚くことに支払われない場合は、被害者が直接督促しなければならない。そのうえ、支払期限には時効があり、10年バっくれれば判決の効力はなくなってしまうのだ。事件を風化させないために、被害者家族は、加害者およびその家族に連絡を取り、抗議し続けなけれならないのは、どう考えてもおかしい。藤井の言うように、判決で決まった賠償金は国が肩代わりして被害者に支払い、加害者には国が督促するシステムを作るべきだろう。
本書には心が痛くなったり呆れ果てたりする事例がいくつも紹介されている。
被害者遺族の嘆き
息子を殺された女性が少年院の見学をした時のこと。グランドでソフトボールに喚声を上げてはしゃぐ少年たちの中に犯人がいることの悔しさ。
貧しくて賠償金を払えないと値切りながら、戻ってきた息子を大学に入れる親。
殺人事件を起こしながら「一度の過ちで、息子の人生を棒に振りたくはない」と言い放った親。
夜に連絡もなく突然に被害者宅を訪れ、土下座して謝罪したことですべてが終わったと思い込んでいる加害者。
「会って謝罪をしたい」といいながら、「食事に行こう」「カラオケに行こう」と被害者の母を誘う加害者の父親。
自分の事件を小説にしたい。面白い小説にしたいからふざけた小説にするつもりだ、と手紙をよこした加害者の少年。
中には本当にやったことを悔いて更生し、毎月の賠償金を払う青年もいるにはいるが、ごく少数派であるらしい。被害者遺族は加害者を許すことは一生できないだろうが、誠意をもって向き合ってほしいと思うのはあたりまえのことだろう。
少年法は2001年以降、4度の改正を行い被害者家族の願いを少しずつ受け入れてきた。被害者の「知る権利」、あまりにも軽かった「罰」、「少年」の年齢の引き下げ、少年審判への被害者家族の参加、厳罰化など確かに司法は動いている。
誰からの助けも得られず、子供を殺され慟哭している親たちに、藤井は手を差し伸べる。30年に及ぶ取材経験をしても、無力感に苛まれるときがあるようだ。彼の手助けがどんなに被害者家族には心強かっただろうか。
日本では後手後手にまわっている賠償金支払い問題など、法律として作るべきことはたくさん残っている。あなたの子どもを被害者にも加害者にもしないために、国が、大人がなすべきことをあらためて考えなくてはならない。
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