特に重要なのは、”Trump Corollary to the Monroe Doctrine”という言葉である。日本のメディアでは、ごく普通に「トランプ式モンロー主義」と訳している例が多かった。「コロラリー」(必然的帰結)という言葉の意味にこだわるならば、「トランプ系論」とか「トランプ補論」と呼ぶ方がより正確であろう。
表ではナイーブな理想、裏では計算高い「米外交」
1823年、第5代合衆国大統領のジェームズ・モンローは、「新大陸と旧大陸の相互不可侵」という外交原則を打ち出した。欧州諸国によるアメリカ大陸への干渉を拒否するとともに、自分たちも欧州の内政へは関与しない、としたのである。
19世紀の世界は弱肉強食の世界であった。ラテンアメリカ諸国が独立を果たすと、すかさず欧州諸国が再進出を図ったりした。ロシアが、アラスカから太平洋岸へ南下を目指す動きもあった。誕生して間もないアメリカ合衆国の周辺には危険が一杯であった。
なにより独立してから日が浅かった。1803年にはフランスから「ルイジアナ購入」を決めて、領土は一気に西に広がった。とはいえ、実効支配できていたのはほんのごく一部。いわば西部劇前史、フロンティアの神話がこれから始まる、という時期であった。
もちろん当時のアメリカには海軍力もない。今から考えるとまるで「中二病」で、外部を拒否する力などなかったのである。モンロー宣言は、大英帝国による裏書によって、かろうじて成立していた。不毛な第2次米英戦争(1812年)に懲りた英国は、「アメリカを手助けして大陸欧州を牽制する」という老獪な外交に転じていた。
それをいいことに、「相互不介入」という大風呂敷を広げてみせたのが「モンロー宣言」である。表ではナイーブな理想を掲げつつ、裏では計算高いというアメリカ外交の原型を、この時点ですでに見て取ることができる。
その後のアメリカは西に向けて急拡大を続ける。1849年にはカリフォルニアで「ゴールドラッシュ」が始まり、一獲千金を夢見る人たちが世界中から集まるようになる。1869年には大陸横断鉄道が開通。そして19世紀の終わりには、いよいよ国内のフロンティアが消失し、アメリカは太平洋を目指すようになる。「門戸開放宣言」を発して、俺も中国市場に入れさせろ、などと欧州列強に凄むようになる。


















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