"スマホ見すぎ"な令和の子が抱える深刻な闇。《陰謀論》《歪んだ正しさ》に飲み込まれる子どもたちの行く末とは
子どもたちは、この環境の中で育っています。多様な情報に触れているようで、実際には極めて限定的な視点しか与えられていない。反対意見が存在することすら知らないまま、「これが常識だ」と信じ込んでしまうわけです。
思考の幅を取り戻すためには?
もちろん、個人レベルでできる対策はあります。
一方の正義だけでなく、もう一方の正義にも目を向ける習慣を持つこと。
情報の出どころを確認し、それが事実なのか、意見なのかを見極めること。
「これは事実だ」と思い込むのではなく、「そう主張している人がいる」と一歩引いて捉えること。
こうしたネットリテラシーを身につければ、「見たいものしか見ない」状態から抜け出すことは可能です。
しかし現実には、YouTubeを何気なく眺めているときや、Xのタイムラインをぼんやりスクロールしているときに、そこまで意識的に考えられる人は多くありません。
だからこそ、サジェスト機能がもたらす思考の偏りは、今後ますます深刻になっていく可能性があります。
思考には、本来「痛み」が伴います。自分と違う意見に触れることは、心地よいものではありません。自分の考えが間違っているかもしれないと認めることは、苦しい作業です。複数の視点を行き来しながら考えることは、脳に負荷がかかります。
しかしその「痛み」こそが、思考の筋肉を鍛えるのです。サジェスト機能は、その痛みを取り除いてくれます。快適で、心地よく、あなたの意見を肯定し続けてくれる。しかしそれは、思考停止という代償と引き換えなのです。
子どもたちの「考える力」を守るためには、知識を増やすこと以上に、「違う意見を想像する力」をどう育てていくのかを、私たち大人が真剣に考えていく必要があるのかもしれません。
そしてそれは単に情報の取り扱い方を教えるだけでなく、意図的に多様な視点に触れさせる機会を作ること、そして何より、「自分が見ている世界は、アルゴリズムによって選ばれた世界かもしれない」という自覚を持たせることから始まるのではないでしょうか。
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